本体(gṛṇāhi 〜 viṣṇupatnī):クリシュナ・ヤジュルヴェーダ『タイッティリーヤ・サンヒター』(TS)4.4.12(TITUS〔フランクフルト大学のデジタル・テキスト集成〕の節番号では 4.4.12.5)。原文は viṣṇupatnī の後に viśvavyacā iṣayantī subhūtiḥ śivā no astv aditir upasthe と続くが、本讃歌には含まれない。gṛṇāhi は、原文では直前の abhi naḥ に続く動詞。
冒頭の帰依句(nīḻāṁ devīgṁ śaraṇam ahaṁ prapadye):ヴェーダ本文には含まれず、詠唱の際に慣例として付される伝統的な句。
① nīḻāṁ devīgṁ śaraṇam ahaṁ prapadye |
逐語訳
nīḻāṁ:ニーラー(「青黒い」の意)を
devīgṁ:女神を
śaraṇam:庇護(避難所)として
ahaṁ:私は
prapadye:身を寄せます
和訳
私は庇護を求めて、ニーラー女神のもとに身を寄せます。
② gṛṇāhi |
逐語訳
gṛṇāhi:迎え入れてください
和訳
(宇宙の主なる女神よ、)どうか、私たちを迎え入れてください。
補足
(宇宙の主なる女神よ、)と「私たちを」は、本讃歌には含まれない直前の原文 bhuvanasya patni(宇宙の主なる女神よ)…abhi naḥ(私たちを)から補いました。gṛṇāhi は、この abhi naḥ に続く動詞で、TS 本文では abhi no gṛṇāhi と続きます。ヴェーダには、これと同じ型の定型句として、abhi no gṛṇīhi(二人称)や abhi no gṛṇantu(三人称)が広く見られます。Rossi(2024: 42, 注79)は、これらを「私たちを歓迎してください/歓迎しますように」の意の定型句としています。そのため、「迎え入れてください」と訳しました。
③ ghṛtavatī savitar-ādhipatyaiḥ payasvatī-rantir-āśāno astu |
逐語訳
ghṛtavatī:ギー(澄ましバター)に満ちた
savitaḥ:サヴィトリ神(太陽神)よ
ādhipatyaiḥ:統治のもとで(字義は「支配権によって」)
payasvatī:乳に満ちた
rantiḥ:喜び(楽しみ)
āśā:方角(方位)
naḥ:私たちのために
astu:ありますように
和訳
サヴィトリ神よ、あなたの統治のもとで、ギーに満ち、乳に満ちた喜ばしい方角が、私たちのためにありますように。
補足
rantiḥ は「喜び、楽しみ」を意味する名詞です。和訳では、āśā(方角)との関係を自然な日本語で表すため、「喜ばしい方角」としました。
āśā は「方角」のほか、一般には「願い・希望」の意でも使われる語です。ghṛtavatī・payasvatī・rantiḥ は、いずれも āśā と同じ女性・単数・主格の形です。TS 4.4.12 は方角を順に呼び出す箇所で、並行する ūrdhvā diśāṁ rantir āśauṣadhīnāṁ(āśā oṣadhīnām が連声した形)では、rantiḥ(喜び)と並ぶ āśā oṣadhīnām が「薬草たちの領域」を意味し、空間を表す語として使われています。また、同じ 4.4.12.4 の suvarvatī sudughā naḥ payasvatī diśāṁ devy avatu no ghṛtācī でも、payasvatī(乳に満ちた)は diśāṁ devī(方角の女神)を形容しています。これらを踏まえ、ここでは āśā を「方角」と解釈しました。
savitaḥ は呼格の形(属格なら savituḥ)のため、「サヴィトリ神よ」と呼びかけの形に訳しました。
④ dhruvā diśāṁ viṣṇu-patnya-ghorā'syeśānā-sahasoyā manotā |
逐語訳
dhruvā:不動の(方角)
diśāṁ:諸方角のうちの
viṣṇupatnī:ヴィシュヌ神の妃
aghorā:穏やかな方(字義は「恐ろしくない方」)
asya:この
īśānā:統べる方
sahasaḥ:力の
yā:〜であるところの(方)
manotā:取り仕切る方
和訳
(ニーラー女神は)諸方角のうちの不動の方角、ヴィシュヌ神のお妃、穏やかなお方、力を統べ、取り仕切るお方です。
補足
「不動の方角」について
dhruvā は「不動の・揺るぎない」、diśām は「諸方角の」の意で、文法上は「諸方角のうちで不動のもの(女性)」と読めます。TS 4.4.12 では、この句は prācī diśām、dhartrī diśām、samrāḍ diśām、ūrdhvā diśām のように、方角を「方角たちのうちの〜」と呼ぶ句の列の最後に置かれています。方角は女性名詞 diś で、4.4.2 では女王のように女神として呼びかけられています。この文脈から、本文は dhruvā を方角の名と読みました。
dhruvā は、東・南・西・北・上方とともに六方を構成する方角の一つとされています。ヴィシュヌ神はこの方角と結びつけられています(AV 3.27.5 など)。その位置は「中心」とも「下方」とも解釈され、研究者の間でも見解が分かれています。そのため、ここでは位置を断定せず、「不動の方角」と訳しました。
したがって④は、「不動の方角」として人格化された女神を、ヴィシュヌ神の妃として語る句です。この讃歌ではその女神をニーラー女神に重ねて唱える伝統に従い、和訳の冒頭に(ニーラー女神は)と補いました。
「力」について
asya sahasaḥ は字義では「この力の」で、īśānā と合わせて「この力を統べる方」と読めます。TS 4.4.12 の前の部分には、「この王権(kṣatra)」「この威力(ojas)」を守ることを方角たちに願う表現が繰り返し出てきます。「この力」はそれを受けている可能性があります。ただし、具体的に何を指すかは断定できません。讃歌として単独で唱える場合は指す対象が分からなくなるため、和訳では「この」を省きました。
⑤ bṛhaspatir-mātariśvota vāyus-sandhu-vānā-vātā abhi no gṛṇantu |
逐語訳
bṛhaspatiḥ:ブルハスパティ神(神々の師)
mātariśvā:マータリシュヴァン神(火の神アグニの別名とされる)
uta:そして
vāyuḥ:ヴァーユ神(風の神)
sandhuvānāḥ:そろって吹く(互いに合わせて吹く)
vātāḥ:もろもろの風
abhi:〜に向かって
naḥ:私たちを
gṛṇantu:迎え入れますように
和訳
ブルハスパティ神、マータリシュヴァン神、ヴァーユ神、そして、そろって吹くもろもろの風が、私たちを迎え入れてくださいますように。
補足
abhi no gṛṇantu は、②と同じ定型句(abhi no gṛṇīhi)の三人称形です。
「そろって吹く」は、風どうしが合わせて吹くことを指します。もろもろの風は、先に挙げた三神と並ぶ四つ目の主語です。
⑥ viṣṭambho divo-dharuṇaḥ pṛthivyā asyeśānā jagato viṣṇupatnī ‖
逐語訳
viṣṭambhaḥ:支柱
divaḥ:天の
dharuṇaḥ:支え
pṛthivyāḥ:大地の
asya:この
īśānā:統べる方
jagataḥ:宇宙の(字義は「動くもの」)
viṣṇupatnī:ヴィシュヌ神の妃
和訳
(ニーラー女神は)天の支柱、大地の支え、この宇宙を統べるお方、ヴィシュヌ神のお妃です。
私は庇護を求めて、ニーラー女神のもとに身を寄せます。
(宇宙の主なる女神よ、)どうか、私たちを迎え入れてください。
サヴィトリ神よ、あなたの統治のもとで、ギーに満ち、乳に満ちた喜ばしい方角が、私たちのためにありますように。
(ニーラー女神は)諸方角のうちの不動の方角、ヴィシュヌ神のお妃、穏やかなお方、力を統べ、取り仕切るお方です。
ブルハスパティ神、マータリシュヴァン神、ヴァーユ神、そして、そろって吹くもろもろの風が、私たちを迎え入れてくださいますように。
(ニーラー女神は)天の支柱、大地の支え、この宇宙を統べるお方、ヴィシュヌ神のお妃です。
母なるサイ、
私たちは皆、あなたの胎内にいる子どもです。母親が胎内の子に何度も蹴られても、愛情深く耐え忍ぶように、あなたもまた、この上ない忍耐と慈悲をもって、私たちが悪行によってあなたに与える痛みを伴う打撃を耐え忍んでくださいます。あなたは、あなたの子どもである私たちのためだけに、喜んですべてをなしてくださる母です。
母なるドゥルガーとして、あなたは私たちの困難を退け、私たちをお守りくださいます。
母なるサラスワティーとして、私たちに智慧をお授けくださいます。
母なるラクシュミーとして、富という宝を適切な分だけお与えくださいます。
母なるアンナプールナーとして、慈しみ深く私たちを養ってくださいます。
子どもである私たちが願い求めなくても、あなたは自ら進んで、ふさわしい時にふさわしいものを授けてくださいます。それでも私たちは、私たち自身の満足のために祈ります。どうか、心には信愛というご馳走を、頭には智慧という糧をお与えください。あなたこそが、あらゆるものの内にあまねく宿る唯一の力であることを悟る眼を、私たちにお授けください。
(ダシャラー祭の折に、「母」なるバガヴァン・シュリ・サティヤ・サイ・ババが授けた、母なるサイへの手本となる祈り)