あなた方は、シヴァラートリに要されるほんの少しのサーダナ〔霊性修行〕さえも投げ出してしまっています。昔の人は、この日には水一滴さえ口にしませんでした。今はそのような厳格さはなくなってしまいました。昔の人は、夜を徹して一晩中休むことなく「オーム ナマ シヴァーヤ」〔オーム、シヴァ神に帰依いたします〕と唱えて過ごしたものでした。
1966年2月19日の御講話「人を喜ばせ、神を喜ばせなさい」より
私たちには、年に一度のマハーシヴァラートリだけではなく、シヴァ神への礼拝に捧げる毎月のシヴァラートリもあります。なぜラートリ(夜)はそれほど重要なのでしょうか? 夜は月に支配されます。月には16のカラー(神の栄光の断片/相)があり、黒半月〔満月から新月まで〕の二週間の毎日、正確には毎夜、その断片が1つずつ減っていき、新月の夜、月はすっかり消滅します。それから今度は、毎晩、断片が増えていき、月は満月の夜に完全な円になります。チャンドラ(月)は心を司る神です。心も月のように満ちたり欠けたりします。
チャンドラマー マナソー ジャータハ
プルシャ(最高の存在)のマナス(心)から月が生まれた
〔「プルシャ スークタム」より〕
すべてのサーダーナ(霊性修行)の主な目的は、心を無にし、アマナスカ(無心)になることです。そうして初めて、マーヤー(幻)をずたずたに引き裂いて、実在を明らかにすることができるのです。黒半月の二週間には、毎日、心の一部を除去するためのサーダナをしなければなりません。なぜなら、毎日、月の断片も知覚から消えていくからです。チャトゥルダシー、すなわち14日目、シヴァの夜〔シヴァラートリ〕には、1つの断片しか残っていません。もしその夜に、プージャー(供養礼拝)や、ジャパ(神の御名や短いマントラを繰り返し唱えること)や、ディヤーナ(瞑想/座禅)のような、より集中力と注意力を傾けるサーダナを通じて特別な努力がなされるならば、成功は保証されます。その夜は、心を眠りや食べ物の方へと脱線させることなく、シヴァだけを念じなければなりません。これは毎月行う必要があります。そして、年に一度、マハーシヴァラートリには、特に力を入れて霊性修行をすることが勧められています。そうすれば、内に宿る神をそのようにして絶えず意識し続けることによって、シャヴァム(死体)〔となるもの/人間〕もシヴァム(神)になることができるのです。
1962年2月15日午後の御講話「マハーシヴァラートリ」より
シヴァラートリ〔シヴァの夜〕は毎月、黒分〔月が欠けてゆく二週間〕の14日目〔満月を1日目と数えて14日目〕に祝われています。月は人間の心を司る神であり、この日は、月が完全に姿を消して心の騒がしさの影響がなくなるまで、あと一日を残すのみとなります。マーガ月の 14 日目はマハーシヴァラートリ〔大いなる吉祥な夜〕と呼ばれています。なぜなら、この夜は別の理由でも神聖だからです。この日は、求道者のためにシヴァ神がリンガの姿をとるのです。「グニャーナム マヘーシュワラート イッチェティ」(英知を通じて悟りを得るためにシヴァ神に祈りなさい)とヴェーダが助言しているように、シヴァ神は、グニャーナ〔英知〕を求める帰依者から拝まれるべく、リンガムの姿で崇められるのです。ですから、この日を軽く扱って、このお祭りのために聖仙たちが定めた断食や徹夜や神の御名を休みなく唱えることといった規律をゆるめて、形だけの儀式にしたり、あるいは、ピクニックやお祭り騒ぎをしたり、競争をしたり、派閥の中で戯れたりする機会にしてはなりません。今日の日中と今日の夜、アートマ リンガ(シヴァ神の象徴としてシヴァ神から生じる長円形の偶像)やジョーティル リンガ(至高の英知の光の象徴である長円形の偶像)を黙想し、シヴァ神はあなた方一人ひとりの内にいることを確信しなさい。その御姿があなたの内なる意識に光を射すようにさせなさい。
数秘学によると、「シヴァラートリ」という言葉の初めの三つの音節、「シ」、「ヴァ」、「ラー」には、「5」、「4」、「2」という意味があります。四つ目の音節「トリ」は「3」を意味します。5と4と2で、一つの全体像、すなわち、11のルッドラが重なった姿が作られます。「ルッドラ」は、「人に涙を流させる者」を意味します。11のルッドラとは、五つの知覚器官、五つの行動器官、そして、心(マインド)です。これらは、些細ではかない喜びの追求へと人を脱線させ、人を駄目にし、人に涙を流させます。しかし、アートマン(アートマ)を探求し、拠り所とするならば、アートマンはその11に光線を当てて、神我顕現に向かって前進する人の意味深いパートナーにさせます。アートマンから発せられる光線は知性を照らし、照らされた知性は心に警報を出し、警報が出された心は感覚器官を制御して、知識から英知へと歩を進める人の道を明るくします。