プールナマダハに関するバガヴァンの御言葉
人はまず、この世には神聖な力が存在するということへの信心を養わなければなりません。さらに、自分はこの世界で完璧な生活を送らなければならないのだ、という信念を養うべきです。この世は、人の五感の喜びに応えることで、人を欺きます。この世は、体を誘惑し、心を食い物にし、目を喜ばせ、生活を型にはめます。しかし、この世には不滅の神性が存在します。滅と不滅、一時と永遠は、 「サット チットアーナンダ」 〔実在 ・覚醒意識・至福〕の側面です。完全な世界は、完全な世界から生まれます。体が朽ちた後に残るのは、完全性のみです。これに照らして、ウパニシャッド〔イーシャーヴァースヤ ウパニシャッド〕は明言しました。
プールナマダッ プールナミダム
プールナート プールナムダッチヤテー
プールナッスヤ プールナマーダーヤ
プールナメーヴァーヴァシッシヤテー
あれは完全、これは完全
完全から完全が生じ
完全性から完全性を取り去っても
完全性が残るのみ
すべては完全性のみです。この世のすべては「サット チット アーナンダ」の側面です。人は「サット チット アーナンダ」の具体であるというのに、心の気まぐれに従うことで、悲しみと痛みに身を任せています。「神人間」の生活は最高の生活です。「人人間」の生活は中程度の生活です。「悪魔人間」と「動物人間」の生活は最悪です。執着の座である心は、この世のあらゆる混乱の原因です。人は喜びでできているのであって、悲しみでできているのではありません。実際、人は「サット チット アーナンダ」の具現です。人は「サット チット アーナンダ」の具現なのですから、そのことを経験するために真摯に努力すべきです。この大きくて広い世界で、私たちは自分の内に狭い考えが生じる余地を与えることなく、広くて高潔な気持ちを育てなければなりません。私たちは、無限の世界で、無限の愛の感情を育まなければなりません。
『サイラムニュース』No.189、p.12~13 1993年夏期講習の御講話
すべてのものの中に存在する神は、すべてのものを神聖にします。人を低く考えることは、神を低く考えるのと同じです。あなた方が人を「ソーダラ ソーダリマヌラーラ(兄弟姉妹)」と呼ぶ慣行に従う時、神は父であり自分たちは皆兄弟姉妹である、という気持ちをお互いに育てなければなりません。この兄弟は、血のつながった兄弟よりも本当であり、結びつきが強いのです。なぜなら、あなた方が求めて争う父親からの相続財産は、ここでは分け前が減じられることなく分けることができるからです。プールナ(完全なるもの)からプールナを引いても、プールナが残るのです。
1966年10月19日ダシャラー祭の御講話
「神はどこにいるのか?」と問う人たちがいます。神は外には見えません。あなたは自分の目を内側に向けなければなりません。そうすれば、全世界はあなたの内なるアートマの反映であることに気づくでしょう。
プールナマダッ プールナミダム
プールナート プールナムダッチヤテー
プールナッスヤ プールナマーダーヤ
プールナメーヴァーヴァシッシヤテー
〔あれは満(まん)これは満
満から満が生じ
満から満を取り去っても
満が残るのみ〕
「あれ」(ブラフマン)は完全です。「これ」(創造物)も完全です。「あれ」の完全から「これ」の完全は出現しました。「これ」の完全が「あれ」の完全から生じても、「あれ」の完全は完全のままであるのみです。
これは何を意味しているのでしょうか? どんな源から物が生まれても、その物は源の質を完全に保持しているということです。例えば、このコップは銀でできています。このコップは銀の品質を完全に維持しています。このマイクはステンレス製で、ステンレスの品質を完全に保持しています。同様に、人間は神から来たのですから、自らの内に神の性質を持っているのです。神はパリプールナ スヴァルーパ(完全な人格)〔最大限の満の化身〕です。あなた方は、健全なる神の追求に従事して、今生での貴重な人としての生の目的を果たすべきです。そうしてあなたの神性を人の姿の中に反映させるべきです。
1994年4月14日タミル正月の御講話私たちはダルマの真の性質や威厳を知らずにダルマという言葉を口にします。ダルマには、家長のダルマ、禁欲者のダルマ、隠遁者のダルマ、出家行者のダルマ等、さまざまな種類があります。けれども、ハートのダルマが最高のダルマです。ハートのダルマは、まさに命のダルマでもあります。思いと言葉と行動の一体性は、どのような犠牲を払ってでも達成しなければなりません。『ラーマーヤナ』はその最高の証です。神性に人間性を統合すること、人間性に神性を統合することは、完全さ(プールナットワ)をもたらします。
プールナマダッ プールナミダム
(あれは完全 これは完全
プールナート プールナムダッチヤテー
完全なるものから完全なるものが生じる)
〔イーシャーヴァースヤ ウパニシャッドの一節〕
と言われています。この完全さは人間の中に十二分に存在しています。
『1996年夏期講習 ラーマーヤナ』p35~36
私たちは無限なるものの化身です。人は常に自らが真理の化身・愛の化身・至福の化身であることを、自分自身に思い起こさせるべきです。人は霊的な思索や霊的な探求ができる無限の能力を有しています。しかし人は自分の真の本質を理解しているでしょうか?
皿の上にある一握りの海の砂を例にとってみましょう。科学者は砂の色や重さなどから、この砂はどこそこの国のものだと判定します。しかし賢者は全くそのようには考えません。彼らは、砂は神の創造物であり、マーヤー(迷妄)であると言います。このように科学者と賢者の認識の仕方には大きな隔たりがあるのです。科学は半円のようなものです。それはある一点から始まって、別 の点で終わります。それに反して、霊性は源の一点から始まって同じ点に戻ってきます。ですから、それは完全な円となるのです。それがまさしく神性です。したがって、次のように言われるのです。
プールナマダッ プールナミダム
プールナート プールナムダッチヤテー
プールナッスヤ プールナマーダーヤ
プールナメーヴァーヴァシッシヤテー
あれも完全 これも完全
完全なものから完全を取っても 完全のまま
このような完全さの化身である神性は、あらゆる人の中に内在しています。しかし、不運にも人は内在する神性を理解しようとする努力を少しもしていません。熟睡しているときに、身体を保護しているのは誰でしょうか?身体についての知識がなくても身体が完全に機能するのはどうしてでしょうか? 答えは誰も知りません。創造・保護・維持、すべてを担っているのは神です。そのような神聖な力がすべての人に内在しているのです。
2003年1月1日新年の御講話
皆さん全員の中には、まったく同じ愛という神性原理が存在しています。皆さんが愛の道をとるならば、皆さん自身が仏陀となることでしょう。今日は仏陀プールニマーです。プールニマーとは満月を意味します。心(マインド)は満月のように完全なる清らかさで輝くべきである――これが仏陀プールニマーの根底にあるメッセージです。
心(マインド)は自らの源、すなわち、純粋で光り輝くアートマと結合しなくてはなりません。満月の夜に暗闇はありません。仏陀プールニマーというこの吉祥なる日に、私たちは心(マインド)の完全な清らかさを獲得すべきです。
プールナマダッ プールナミダム
プールナート プールナムダッチヤテー
プールナッスヤ プールナマーダーヤ
プールナメーヴァーヴァシッシヤテー
(あれは完全、これは完全。
完全なるものから完全なるものが生じ、
完全なるものから完全なるものを取っても、
完全なるものが残るのみ)
私たちはこの真理を認識しなければなりません。
「2006年講話集」p.156 2006年5月13日の御講話
すべての人を愛し、どの人も平等に扱うべきです。すべての人は1つ、誰に対しても等しくありなさい。これが、皆さんへの私の今日の特別なメッセージです。
皆さんは、今はこのことを理解していないかもしれませんが、後で必ず理解するようになります。一本の木にたくさんの実がなっていても、全部の実が同時に熟すわけではありません。それと同様に、すべての花のつぼみが同時に開くわけではありません。定められた時に花のいくつかが開く一方で、他の花はつぼみのままでいます。同様に、この世に生まれた人間の間でも、花のように開花する人もいれば、つぼみのままでいる人もいます。しかしながら、そうしたつぼみもいつの日か必ず花を開いて、自らの神聖な香りを広げます。私たちはつぼみが香りを振りまく準備ができる時を待たなければなりません。これが、皆さんに対する私の今日の主要なメッセージです。
今日はプールナーフティー〔満供式、祭火への最後の奉納〕の日です。プールナーフティーとは何を意味しますか? それは完全な犠牲を意味します。私の一生は犠牲の武勇伝です。これは、今日はするけれども明日にはしないといったものではありません。
プールナマダッ プールナミダム
プールナート プールナムダッチヤテー
プールナッスヤ プールナマーダーヤ
プールナメーヴァーヴァシッシヤテー
(あれは完全、これは完全、
完全なるものから完全なるものが生じ、
完全なるものから完全なるものを取っても、
完全なるものが残るのみ)
〔イーシャーヴァースヤ ウパニシャッドの一節〕
理解したいと思う者は、必ずこのことを理解するでしょう。子供はつぼみのようなものですから、今これを理解することはできないでしょう。けれども成長すると、時の経過と共に、だんだんとスワミの言葉の意味を理解するようになるでしょう。あなたが成熟した年齢に到達するまで、穏やかで平静な態度で生活を送りなさい。
2008年10月9日ヴィジャヤダシャミーの御講話