ヴェーダの編纂

※以下、太字のみバガヴァンの御言葉になります

初め、師から弟子へと口伝されるただ一つのヴェーダがあるだけでした。ヴェーダは膨大で限りがなかったため、普通の人々が学習することは困難でした。それまで音としてのみ知られていたヴェーダを、書物の形でもたらしたのが、ヴェーダ ヴィヤーサでした。ヴィヤーサは、人々がヴェーダの膨大さに圧倒されて、学ぶ気を失っていることを悟りました。人類の福祉の向上のため、そして人々がヴェーダに近づきやすくなるように、ヴィヤーサは1つのヴェーダを4つの異なる部門に分けて編纂し、人々がヴェーダの教えを学習すると同時に、実践することができるようにしました。こうしてヴェーダは、リグ ヴェーダ、ヤジュル ヴェーダ、サーマ ヴェーダ、アタルヴァ ヴェーダとして編纂されました。ヤジュル ヴェーダはさらに、白ヤジュル ヴェーダと黒ヤジュル ヴェーダに分けられました。多くのマントラが、同じ抑揚や異なる抑揚で、複数のヴェーダの中で繰り返されています。

リグ ヴェーダ

リグ ヴェーダは、すべてのヴェーダの中で最大です。リグ ヴェーダは、さまざまな神々を讃えるマントラや讃歌より成ります。これらの讃歌はリクと呼ばれます。リクの集成がスークタムです。各スークタムは多くのリクから成ります。スは「善」を意味し、ウクタは「話された」を意味します。ですからスークタムとは、「よく話された」という意味です。有名なヴェーダの詩篇、プルシャ スークタムシリー スークタムは、リグ ヴェーダの中にあります。リグ ヴェーダの多くの讃歌が他の3つのヴェーダのすべてに見られます。

Ms. Lalitha Vaithilingam, Ms. Nirmala Sekhar and others, Vedic Chants: The Journey Within, 3rd ed., Prasanthi Nilayam, 2010, pp.Intro-45-Intro-46.

古代、アーリア人たちはマントラを通してさまざまな神々に捧げた犠牲と儀式によって平安と満足を獲得し、願望を成就しました。彼らは絶対原理、パラマートマは唯一無二の存在であると知っていました。そして唯一であるにもかかわらず、異なる名と姿をもって、変化に富んださまざまなものとして顕れているということも知っていました。リグ ヴェーダのマントラの多くはこのことを明確に伝えています。『たった一つのものがあるだけだ。真理を見た者はそれをさまざまに賛美する。』

『生きる道』 p.118

ヤジュル ヴェーダ

ヤジュスという言葉は、崇拝する、祭るという意味のヤジという語根から来ています。ヤジュスとは、ヤグニャ(祭祀)を執り行う方法と手順を詳しく説明することを意味します。ヤグニャという言葉もまたヤジから来ています。ヤジュル ヴェーダは、リグ ヴェーダのマントラに祭祀の形で実践的な形態を与えます。ヤジュル ヴェーダはリグ ヴェーダの多くのマントラについて言及しています。ヤジュル ヴェーダは、次の2つの主要な部門からなります。

①クリシュナ(黒) ヤジュル ヴェーダ

②シュクラ(白) ヤジュル ヴェーダ

有名なヴェーダの詩篇、シリー ルッドラムは、クリシュナ ヤジュル ヴェーダの中にあります。リグ ヴェーダに登場するプルシャ スークタムは、いくつかの変更を伴って、クリシュナ ヤジュル ヴェーダにも見られます。一般的にプルシャ スークタムと言う時は、このクリシュナ ヤジュル ヴェーダに入っているバージョンのものを指します。

サーマ ヴェーダ

この世界のあらゆる形式の音楽は、サーマ ヴェーダから発展したため、サーマ ヴェーダはガーナ(音楽) ヴェーダとしても知られています。また、あらゆる形の記譜法が、このヴェーダの中に含まれています。サーマ ヴェーダには、ガンダルヴァ ヴェーダと呼ばれる舞踊と音楽に重点を置いたセクションがあります。サーマとはシャーンティ、平安を心にもたらすことを意味します。サーマにはまた、「歌」という意味もあります。75の詩節を除いて、サーマ ヴェーダの中のほとんどの讃歌は、リグ ヴェーダから来ています。リグ ヴェーダとの主な違いは、サーマ ヴェーダの中では、讃歌は長く伸ばした節と共に曲が付けられていることです。サーマ ヴェーダは、霊的進歩が音楽(を聞くことと歌うこと)によって成され得ることを明らかにしています。それゆえクリシュナ神は、バガヴァッド ギーターの中で、「ヴェーダの中で、私はサーマ ヴェーダである」と述べています。

Ms. Lalitha Vaithilingam, Ms. Nirmala Sekhar and others, Vedic Chants: The Journey Within, 3rd ed., Prasanthi Nilayam, 2010, pp.Intro-47-Intro-48

悪い言葉を話したり、悪い話を聞いたりする機会を与えてはなりません。しゃべりすぎは慎まなければなりません。無駄話、人を中傷するような噂話、陰口は、きっぱりとやめるべきです。話をするには多量 のエネルギーを伴います。決してそのエネルギーを浪費してはなりません。これは日常生活の中で養わなければならない最高位の自制です。これはサーマ ヴェーダの重要なメッセージです。サーマ ヴェーダは、神聖で純粋な言葉と音には本来、神性と歓喜が備わっている、と述べています。人に苦しみをもたらすようなことはだれにも言ってはなりません。だれであれ、そのような話をする人は人間以下です。

『バジャン 神への讃歌』 p.329

アタルヴァ ヴェーダ

アタルヴァ ヴェーダは呪法に重点を置いています。このヴェーダは4つのヴェーダ中、最後に編纂されました。アタルヴァとは、しっかりと落ち着いた性質を持った、堅固で不動の人物のことを指します。アタルヴァはまた、プローヒト(祭司)を意味します。その昔、アタルヴァ ヴェーダの多くの讃歌を明るみにした、アタルヴァンという名のリシ〔聖仙〕がいました。アタルヴァ ヴェーダは、悪と困難を回避することを私たちに教えます。有名なヴェーダの詩篇、ナーラーヤナ ウパニシャッドは、アタルヴァ ヴェーダの中にあります。アタルヴァ ヴェーダは、様々なヨーガの実践を通じて、並外れた仕事を行うことができる人間の力について明らかにしています。ハタ ヨーガやアシュタ ヨーガはアタルヴァ ヴェーダから来ています。

Ms. Lalitha Vaithilingam, Ms. Nirmala Sekhar and others, Vedic Chants: The Journey Within, 3rd ed., Prasanthi Nilayam, 2010, pp.Intro-48-Intro-49

どのような形式の礼拝や苦行や瞑想を採り入れようとも、その土台は神の御名です。リグ ヴェーダの全編は神の御名であふれています。ヤジュル ヴェーダはマントラの集大成です。サーマ ヴェーダはメロディーで満ちています。人間のハートは、音楽とマントラと(神の)御名の結合体です。

『バジャン 神への讃歌』 p.321

言葉そのものがリグ ヴェーダであると言われています。言葉は燦然と光り輝いています。心(マナス)はヤジュル ヴェーダであり、命それ自体がサーマ ヴェーダです。命は呼吸を生じさせます。そうした呼吸が歌となります。それゆえ、サーマ ヴェーダは命そのものの姿なのです。ヤジュル ヴェーダは心(マナス)から生じたマントラの姿です。つまり、この3つのヴェーダが総合的に言明しているのは、(リグ ヴェーダに述べられているように)光り輝く者である神は、祈りをささげられ、(ヤジュル ヴェーダに述べられているように)マントラによって礼拝され、(サーマ ヴェーダに述べられているように)神にこよなく愛されるような甘美な歌でたたえられなければならない、ということです。

『バジャン 神への讃歌』 pp.147-148

神聖なる叙事詩『ラーマーヤナ』はまさしく天から地上に伝わったヴェーダです。ヴェーダにはリグ ヴェーダ〔神々を勧請するための讃歌の集成〕、ヤジュル ヴェーダ〔祭式の準備や実務的なことに関するマントラの集成〕、サーマ ヴェーダ〔祭式のあいだに旋律(サーマン)にのせて唱えるマントラや歌詠の集成〕、そしてアタルヴァ ヴェーダ〔請願や呪法などの集成〕の四つがあります。リグ ヴェーダ」ヤグニャ〔護摩儀礼〕やヤーギャ〔供犠〕を進行させます。『ラーマーヤナ』の中で、ラーマはリグ ヴェーダを象徴しています。ラクシュマナ〔ラーマの異母兄弟、母は第二王妃スミトラー〕はヤグニャやヤーギャを執り行う際に唱えるマントラが記されているヤジュル ヴェーダを象徴しています。ラーマが森にいるあいだ、バラタ〔ラーマの異母兄弟、母は第三王妃カイケーイー〕はアヨーディヤー〔ラーマが統治するはずだった都〕を離れてナンディーグラマに留まり、1日24時間ラーマの神聖なる御名を唱え続けていました。ですからバラタはサーマ ヴェーダを象徴します。シャトルグナ〔ラーマの異母兄弟、母はスミトラー妃〕はシャトル(敵)を全滅させ、敬虔なる者たちを守り、兄弟たちの言いつけによく従いました。シャトルグナはアタルヴァ ヴェーダを象徴します。アタルヴァ ヴェーダの神髄は、邪悪さを破壊し神聖な思いと行動を育くむことにあります。『ラーマーヤナ』はヴェーダであり、ヴェーダは『ラーマーヤナ』です。ヴェーダと『ラーマーヤナ』は異なるものではありません。このことを理解することによって真の人間らしさが得られます。

2003年4月11日の御講話