ナ カルマナーの冒頭の詩節に関するバガヴァンの御言葉
ナ カルマナー ナ プラヂャヤー ダネーナ ティヤーゲーナィケー アムルタットワマーナシュフ
ナ:~ない、カルマ:行為、プラヂャー:子孫、ダナ:富、ティヤーガ:犠牲、放棄、捨離、アムルタットワ:不死
行為によってでも、子孫や富によってでもなく、犠牲によってのみ不死は得られる
まず最初に、邪な性質と欲望をすべて取り除きなさい。これは、ヴェーダが次の言葉で宣言していることです。
ナ カルマナー ナ プラヂャヤー ダネーナ ティヤーゲーナィケー アムルタットワマーナシュフ
昨今、人々の欲望という重荷はますます増え続けていますが、自己犠牲の意向は見受けられません。人々は、自国への関心を忘れ、個人的な欲求を強めています。一体性を無視して、多様性を楽しんでいます。母国を自分の体と見なしなさい。人はそのような寛大なアプローチへと上昇していくべきです。
もちろん、自分の富の一部を犠牲にしている人もいますが、そのような行為にはすべて利己主義の要素が存在しています。真の犠牲は神に対してなされる犠牲です。この広いホール〔サイ クルワント ホール〕が建設され、その責任を担った人々は相当な犠牲を払いました。これほど大規模な帰依者の集会に、これほど清らかで神聖な場所を使うことが可能になったのは、その人たちの犠牲のおかげです。このホールに集まった人々は、さまざまな国、さまざまな宗教的信仰、さまざまな言語を代表しています。人は自分の富をこうした正義にかなった活動のために犠牲とすべきです。自分の犠牲の行為が不幸な結果を招くことのないようにしなさい。自分の犠牲がつねに正しい道に沿っていることを確実にしなさい。
2000年11月24日第7回サティヤ サイ オーガニゼーション世界大会 閉会式の御講話
ヴェーダ聖典は「ナ カルマナー ナ プラヂャヤー ダネーナ ティヤーゲーナィケー アムルタットワマーナシュフ」と教えます。犠牲によってのみ、幸福に達することができます。食事を取ったあとで、排泄物を出さなかったら、あなたのお腹は調子が悪くなるでしょう。いったん空気を吸い込んで、その空気を吐き出さなかったら、あなたの肺は傷付いてしまうでしょう。同じように、あなたが働いて得た富を、他の人の幸福のために捧げなさい。
『真の教育』
誠実さと自信をもって自分の義務を果たし、ブッダにより示された理想に従いなさい。ブッダはあらゆる贅沢をほしいままにしていました。けれども、そのすべてを放棄しました。至福はティヤーガ(犠牲、捨離)の内にあり、感覚的快楽(ボーガ)にはありません。いったんティヤーガ(犠牲、捨離)の道を進むなら、皆さんは至福を得ることができるでしょう。これがブッダの神聖な教えです。
2002年5月26日ブッダ プールニマー祭の御講話
皆さん方の多くは3、40年以上も前からここに来ています。皆さんは何度もスワミの講話を聞いています。不死不滅は、行為や富や子孫によってではなく、犠牲によってのみ到達することができると、スワミは何度も繰り返し説明してきました。犠牲を払っている人は何人いるでしょう? スワミの教えを実践している人は何人いるでしょう? なぜ皆さんはここに集められたのでしょう? 教えの中から少なくとも一つを実践しないなら、それはまったく無駄 なことです。私の指示は何でしょう? 私を喜ばせるものとは何でしょう? 私が望むものとは何でしょう? それはただ一つのことです。愛、愛、愛。愛はサイの最強の武器です。
1994年11月23日御降誕祭の御講話