あなた方は皆、互いに助け合い、愛し合いながら、調和と兄弟愛の中で生きなければなりません。古代人の祈りの中に、人間が基本的に必要とするものが述べられています。
アサトー マー サットガマヤ
タマソー マー ジヨーティルガマヤ
ムルッティヨールマー アムルタム ガマヤ
非真より真実へ、
暗闇から光へ、
死から不死へと、私をお導きください
人は真実を欲しています。人は嘘にうんざりしているのです。人は光を欲しています。人は暗闇に打ち負かされているのです。人は不死を欲しています。人は生死に苦しめられているのです。この祈りは、すべての人からわき起こります。アーンドラの人であろうとも、マラヤの人であろうとも、マイソールの人であろうとも。この切望は、生まれた国も、話す言葉も、神のどの御姿を崇めているかも、関係ありません。これは、あらゆる時、あらゆる場所における、人類の叫びです。
1961年4月30日の御講話神の恩籠によって祝福されるためにすら、私達は平安の心で、忍耐強く待たなければなりません。安らかな心のみが修行の成果をもたらすことができるのです。この教訓を、あなたが日夜行なっている修行と、シャーンティ マントラに付け加えなさい。 「アサトー マー サッドガマヤ;タマソー マー ジョーティルガマヤ;ムルッティヨールマー アムルタム ガマヤ」これがシャーンティ マントラです。このマント ラの意味は様々な人によって、ときには入念に、またときには興味深く、様々に説明されています。
「おお、神様。私がこの世の事物によって幸せを得ているとき、どうか私に非真実の事物を忘れさせ、永遠の幸福への道をお示しください」これが第一の祈りです。
「おお、神様。 この世の事物が私を引きつけるとき、すべてのものの真の姿である遍在のアートマを覆い隠す暗闇を取り除いてください」これが第二の祈りです。
「おお、神様。あなたの恩寵によって、あらゆる事物に内在するアートマの光輝を認識することによってもたらされる不滅の生命、すなわちパラマーナンダをお与えください。」これが第三の祈りです。以上がこのマントラの本当の意味です。
『至高の平安』pp.24-25ウッタラーヤナ プンニャカーラ〔北へと進行する吉祥の時〕、すなわち、マカラ サンクラーンティ〔インドの冬至〕は、ヴェーダが人々に祈るよう指示している次のことを主に祈る、聖なる機会です。
アサトー マー サッドガマヤ
(非真から真へと導き給え)
タマソー マー ジョーティルガマヤ
(暗闇から光明へと導き給え)
ムルッティヨールマー アムルタム ガマヤ
(死から不滅へと導き給え)
この日を、あなたのイシュタ デーヴァタ(選んだ神)、アーラーディヤ デーヴァタ(最も好きな主の御姿)に、心からこの祈りを捧げることに用いなさい。
私たちの国では、月(チャンドラすなわち月は心を司る神)や太陽(スーリヤすなわち太陽は知性を司る神)に関連する祝祭は、心(マインド)の制御と知性を研ぎ澄ますことの重要性を人々の心に植え付けるために祝われています。太陽が北へと向かう時、つまり、神へと向かう時には、知性も神に向かって前進しなければなりません。それがウッタラーヤナ〔北への進行/北行〕の意味です。
機械や、機械で作られたものに信仰が置かれ、制御された心の力や、研ぎ澄まされ浄化された知性の潜在力への信仰は弱まってしまいました。ヤントラ(機械)がマントラ(真言)を覆い隠しています。しかし、これは一時的な局面です。マントラだけが平安(シャーンティ)を保証することができます。
王様が正気を失い、自分は物乞いだ、自分は病気だ、自分は老いぼれたと思い込んで泣き出しました。さて、王様に自分は王だということをわからせるには、どうしたらよいでしょう? 王様の理性を元の状態に戻すこと、それしかありません。それと同じように、不滅で、至福に満ち、無敵である人間が、自分は限界のある小さな存在だと思い込んでいます。人間は自分を責め、自分を罪人と呼び、罪の下に生まれ、罪にふけり、救われたいとひざまずいて祈っています。もちろん、もし人間が自分は神だということがわかれば、罪や悪徳や弱さに身を投じることは決してないでしょう。
1966年1月14日の御講話世俗的な見方は、あなたを欺き、あなたを悲しみに陥れるでしょう。あなたはどのものが自分の内なる渇望を満たすか分からずに、自分の目を引くものを何でも所有しようとします。主の御心と敬虔な仲間を切望する時、あなたはウッタラーヤナの中にいます。ビーシュマもそういう気持ちでした。彼は、「アサトー マー サッドガマヤ」〔非真から真実へと導き給え〕――私をこの朽ち果てるはかない世界から、永遠の至福の世界へと導いてください、「タマソー マー ジョーティルガマヤ」〔暗闇から光明へと導き給え〕――私にあなたの恩寵の光を授けて私の魂を真理で照らしてください、「ムルッティヨールマー アムルタム ガマヤ」〔死を超えて不滅へと導き給え〕――私を生死の苦しみから救い、誕生の種を作り出す心の渇望を破壊して不滅へと導いてください、と祈りました。この祈りと切望こそが、ビーシュマが逝く時にクリシュナの御姿を見させたのです。それは、彼にとっての本当のウッタラーヤナでした。
1962年1月14日の御講話アートマ シャクティ(魂の力、真我の力)は、マーヤー シャクティ(幻覚の力)によって促されたとき、初めて働きます。クリシュナが生まれる直前にマーヤーが生まれたのは、これが理由です。マーヤーが存在しなければ、どうやって劇が上演できるでしょう? 実際、マーヤーはその到着と正体を告げられなければなりません。何らかのアシャーンティ(平安のなさ)が、自然に皆さんをこの場所に連れてきました。しかし、ここへ来た以上、物質的な贈り物だけに集中せず、内なる進歩のための有益な助言を集めなさい。皆さんは、
アサトー マー サッドガマヤ
私を非真理から真理へと導いてください
と祈るべきです。
あなたが切望している世俗の財産のリストには終わりがありますか? 一つの物を手に入れると、別の物があなたの欲望をかき立てます。それが手に入らないと、多くの場合、神にしがみつく手は緩みます。何かを失ったり盗まれたりすると、あなた方は私への信仰を失います。私はあなた方の宝石や貴重品を守るために来たわけではありません。私はあなた方の徳と神聖さを守り、あなた方を目的地へ導くために降臨しました。
1961年10月21日の御講話自分に関する知識がないと、人は、物質世界は真実で永続的であるという信念を持ち、本当に真実で本当に永遠であるものを無視するようになります。自分とは何ですか? ここでも、人は間違って誤った信念を抱いています。人は、自分は体であると信じており、体の構成要素や特徴を連ねて喜んでいます。人は、アートマ〔真我〕、すなわち、崇高で、穏やかで常に新鮮で、自分自身である神の本質を無視しています。それは拡大したい、光を照らしたいという、常に存在する衝動です。収縮したい、抑えたいという衝動は、動物の特徴です。アートマを否定し、その任務を無視し、その存在を無視していること —— これが悲しみの根源です。
では、死についてです。アートマに誕生はありません。ですから、死もありません。アートマはずっと存在し続けていて、決して消滅することはありません。アートマには始まりも終わりもありません。アートマは死にません。アートマを殺すことはできませんし、アートマに自動力はないと言うこともできません。アートマは万物それぞれの内なる照覧者です。アートマを認識するようになった瞬間に、人は悲しみに捕らわれている束縛の状態から解放されます。物質世界は確かなものだという考えは忘れなさい。物質世界はせいぜい試練として差し出される心像です。だからこそ、聖賢たちの祈りは、「アサトー マー サッドガマヤ(私を非真から真実へと導き給え)、タマソー マー ジョーティルガマヤ(私を暗闇から光へと導き給え)、ムルッティヨールマー アムルタム ガマヤ(私を死から不死へと導き給え)」というものだったのです。
人としての生の真の目的は、ブラフマンが見えるようになり、ブラフマンに融合することです。
1979年8月14日の御講話すべての有神論者、賢者、敬虔な人々は、普通の生活を送りながらゴールを心に留め、真理の原理に向かって歩みます。何であれ、私たちが行うことに関する配慮や識別は、私たちの生き方にかなったものであるべきです。これが欠けていることが、すべての悲しみ、困難、苦悩の主な原因です。
そのゴールは、誰でも獲得できる最終学位です。これは人生で最高の追求です。この成就の前には、あらゆる学位は色を失います。人々は、無知ゆえに、どの段階にいても恐れに捕らわれています。真理を悟るまで、恐れは人間から離れません。私たちはこの一時的な世界を離れ、永遠なるもの、不滅なるものに到達しようと努力しなければなりません。これが私たちの日々の祈りとなるべきです。
アサトー マー サッドガマヤ
タマソー マー ジョーティルガマヤ
ムルッティヨールマー アムルタム ガマヤ
〔非真から真実へと行けますように
暗闇から光明へと行けますように
死を超えて不滅へと行けますように〕
私たちはどこから来ましたか? 私たちはアートマ〔真我〕から来ました。人々はアートマを忘れてアンナ(食物)を追いかけています。私たちの義務はアートマを探求することです。それが私たちの生まれてきた目的です。目の前に鏡があります。鏡の中の自分の顔を探す代わりに鏡を他人に向けるなら、どうして鏡の中の自分の顔を見ることを期待できますか? これはすべての人が従事しなくてはならない類の黙想です。この種の黙想に熟達すれば、真の姿の顕現へと導かれます。それが人間の真のゴールであり、成就です。
1981年12月31日の御講話あなた方は「自分は誰か」を知らなくてはいけません。そのあとで、必要であれば、他の人々や物について知るよう努めなさい。現代では本末転倒になっています。オーガニゼーションのすべてのユニットは一つの神聖な力によって動かされており、すべては一なる原理によって動かされています。それを突き止める決意をし、それを体験しなさい。そうすれば、オーガニゼーションの目的は果たされます。人間の類まれな特質である、識別力(ヴィヴェーカ)、英知(ヴィグニャーナ)、無執着(ヴァイラーギャ)を使い、その悟り〔真我顕現〕に向けて懸命に努力しなさい。
もっとわかりやすく言えば、あなた方は、3つの修行をすることに成功したとき、初めて至福を引き出すことができます。
(1)忘れるべきことは忘れなさい。物質界を忘れ、無視しなさい。物質界は非真(アサット)であり、相対的な真実であって、絶対的な真実ではありません。非真は忘れなさい。祈りの最初の1行を思い出しなさい。
アサトー マー サッドガマヤ
私を非真から真実へと導きたまえ
(2)捨てるべきものを捨てなさい。光である「デーヴァバーヴァ」〔自分は神であるという思い〕を手に入れるには、暗闇である「ジーヴァバーヴァ」〔自分は個別の人間であるという思い〕を捨てなくてはいけません。あなたは肉体ではありません。あなたはただの一個の人間でも、偶然に生じた火花の一つでも、飛び散った水の一滴でもありません。あなたは神の一部であり、炎の一部であり、海の波の一つです。これが先にあげたヴェーダの祈りの2行目である、
タマソー マー ジョーティルガマヤ
私を暗闇から光明へと導きたまえ
です。
(3)到達すべき場所に到達しなければいけません。それは、すなわち、「ブラフマタットワ」〔神の原理〕です。「ブラフマ」は、拡大、無限の存在を意味します。限界を超えて、その無限なるものへと進まなければいけません。限界は死です。限界を超えた、死による影響を受けないもの、それが不死です。それゆえ、前述の祈りにこの3行目が加わります。
ムルッティヨールマー アムルタム ガマヤ
私を死から不死へと導きたまえ
「あなたは外界の一部である」という半端な真理を受け入れてはなりません。「あなたは本質的に神である」という真理に堅くしがみつきなさい。あなたの姿はあなたが人間であるとことを明言させますが、実際には、あなたは神なのです。
1971年12月22日の御講話