クリシュナ・ヤジュル・ヴェーダ『タイッティリーヤ・アーランニャカ』第10プラパータカ(『マハーナーラーヤナ・ウパニシャッド』)12.14-17
① na karmaṇā na prajayā dhanena tyāgenaike amṛtatvam-ānaśuḥ |
逐語訳
na(〜ではなく)
karmaṇā(行為〔儀式や慈善などの行い〕によって)
na(〜ではなく)
prajayā(人の力〔権力、能力、魅力など〕によって)
dhanena(富〔財産、お金〕によって)
tyāgena(捨離〔一切の執着と欲望を手放すこと〕によって)
eke(のみ)
amṛtatvam(不死は、解脱は)
ānaśuḥ(得られる)
和訳
行為によってでも、人の力や富によってでもなく、捨離によってのみ、不死は得られる。
② pareṇa nākaṁ nihitaṁ guhāyāṁ vibhrājade-tad-yatayo viśanti |
逐語訳
pareṇa(~を超えて、~より高いところに )
nākam(天を、天界を)
nihitam(置かれている、安置されている)
guhāyām(洞窟の中に、心の深奥に)
vibhrājade(燦然と輝いている)
etad(これ、この場所)
yatayaḥ(努め励む者たち、感官を制御した者たち)
viśanti(入る、至る)
和訳
それは天をも超える高みであり、ハートの奥深くで燦然と輝いている。感官を制御した者たちはそこへと入っていく。
③ vedānta-vijñāna-suniścitārthās-saṃnyāsa-yogād yatayaś-śuddha-sattvāḥ |
逐語訳
vedānta-vijñāna(ヴェーダーンタの深遠な真理)
suniścitārthāḥ(明確に理解した者たち)
saṃnyāsa-yogāt(放棄とヨーガによって)
yatayaḥ(努め励む者たち、感官を制御した者たち)
śuddha-sattvāḥ(純粋な心を持つ者たち、心を浄化した者たち)
和訳
ヴェーダーンタの深遠な真理を悟り、放棄とヨーガ(一意専心)に励んで心を浄化した者たち――
④ te brahma-loketu parānta-kāle parāmṛtāt pari-mucyanti sarve |
逐語訳
te(彼らは)
brahma-loketu(ブラフマローカ〔ブラフマンの世界〕において)
tu(そして)
parānta-kāle(時の終わりにおいて)
parāmṛtāḥ(至高の甘露〔不死〕から)
pari-mucyanti(完全に解き放たれる、解脱する)
sarve(すべて)
和訳
彼らはブラフマローカで、時の終わりにおいて至高の不死(甘露)さえも超えて、全員が完全に解脱する。
⑤ dahraṃ vipāpaṃ parame'śma-bhūtaṃ yat-puṇḍarīkaṃ pura-madhya-saṃstham |
逐語訳
dahram(小さな)
vipāpam(罪〔穢れ〕のない)
parama-aśma-bhūtam(至高者の住まいとなっている)
yat(それは)
puṇḍarīkam(蓮華、ハートの蓮華)
pura-madhya-saṃstham(都市の中心に位置している)
和訳
小さく、穢れのない、至高者の住まいであるこのハートの蓮華は、肉体という都の中心に位置している。
⑥ tatrāpi dahraṃ gaganaṃ viśokas-tasmin yad-antas-tad-upāsitavyam |
逐語訳
tatra api(そこにさらに)
dahram(小さな)
gaganam(虚空、空間)
viśokaḥ(悲しみのない)
tasmin(その中に)
yat antaḥ(内側にあるところの)
tat(それを)
upāsitavyam(瞑想されるべきである)
和訳
さらにその蓮の中には、小さく、悲しみのない虚空(空間)がある。その内なる虚空こそ、瞑想されるべきものである。
⑥ yo vedādau svaraḥ prokto vedānte ca pratiṣṭhitaḥ |
逐語訳
yaḥ(〜であるところの、それは)
veda-ādau(ヴェーダの初めに)
svaraḥ(聖音〔オーム〕)
proktaḥ(唱えられ)
vedānte(ヴェーダーンタ〔ヴェーダの終わり、ウパニシャッド〕において)
ca(そして)
pratiṣṭhitaḥ(確立されている)
和訳
ヴェーダの初めに唱えられ、ヴェーダーンタ(ヴェーダの終わり、ウパニシャッド)において確立されている聖音(オーム)――
⑧ tasya prakṛti-līnasya yaḥ paras-sa maheśvaraḥ ‖
逐語訳
tasya(それ〔聖音オーム〕の)
prakṛti-līnasya(根本原質に融合する)
yaḥ(〜であられる方こそ)
paraḥ(それを超えたところにおられる)
saḥ(その方こそ)
maheśvaraḥ(偉大なる主)
和訳
それ(聖音オーム)は、瞑想の際に根本原質(プラクリティ)へと融合する。それを超えたところにおられる方こそ、マヘーシュワラ(偉大なる主)である。
行為によってでも、子孫や富によってでもなく、放棄(執着を手放すこと)によってのみ、ある人々は不死を得た。
真我は天界よりも高い所に据えられ、ハートの奥深くの洞窟の中で光り輝いている。〔知識の道を〕努める修行者たちは、それ〔洞窟〕に入る。
ヴェーダーンタの深い真理を直接体得することによってはっきりと理解し、放棄とヨーガの実践によって心を清めた修行者たち――彼らは皆、至高者との一体性という不滅性を得て、最期の時にブラフマンの世界において完全に解き放たれる。
小さく、穢れのない、至高者の住まいであるこの蓮華(ハートの蓮)は、都市の中心に位置している。さらにその蓮華の中には、小さく、悲しみのない虚空(エーテル)がある。その内なる虚空こそ、瞑想されるべきものである。
ヴェーダの初めに唱えられ、ヴェーダーンタ(ヴェーダの終わり、ウパニシャッド)において確立されている聖音(オーム)――それ〔聖音オーム〕は、瞑想の際に根本原質(プラクリティ)へと融合する。それを超えたところにおられる方こそ、至高の神マヘーシュワラである。