賢者の石

日付:1968年9月27日

場所:プラシャーンティ ニラヤム

ダシャラー祭連続御講話④より

人は多くの能力を授けられています。多くの生を与えられています。多くの道を示されています。これらの贈り物の目的はすべて、信愛と献身の精神を人の内に育て、喜びと悲しみという二元の雨水の落下から人を解放することです。人が全世界を神として見ると、人に二元の体験をもたらしている力は消えてなくなります。その時、人は真理を知り、平穏になります。神は一つであり、神だけが存在しています。

エーカム エーヴァ アドワイッティーヤム ブランマー(ブラフマンは唯一無二なり)

これは超越的な普遍の原理です。ですから、人は神という真理である者を知るために努力しなければなりません。戦士は、戦いに勝利した時にだけ、敬われ、歓迎されます。怖気(おじけ)づいたり、敵と交えなかったり、おとなしく降伏したり、喜んで寝返ったりしたら、敬われることも、歓迎されることもありません! 敬われるのは制服や勲章ではなく、その内側の勇敢な胸の高鳴りであり、勝利に浸る英雄に表れる眼の輝きです。

すべての人が、自分の中にいる油断ならない敵たちと戦っています。敵たちが自分の中で勝利を祝っている時に、誇らしげに頭を上げて動き回ることのできる人がいるでしょうか? それはひどく屈辱的なことではありませんか? 欲望、貪欲、怒り、憎しみ、驕(おご)り、敵意、妬み、飽くことを知らぬ金銭欲、という敵軍は、ハートの中で意気揚々と勝利の舞を踊って祝宴をはり、その一方で、敵の手中に捕らえられているその無力な犠牲者は、栄誉を得て名士ともてはやされることを期待しています。

内にいる敵たちは、英知(グニャーナ)の光(実体を顕現させることに伴う光輝)によって滅ぼすことができます。その光輝を獲得するには、神と人の本質と、神と人との関係についてなされたヴェーダの啓示に基づいた、偏ることのない、堅固で、揺るぎない探求の精神を育まなければなりません。敬虔にヴェーダを学ばなければなりません。なぜなら、ヴェーダは英知(グニャーナ)への鍵を与えてくれるからです。ヴェーダは賢者の石であり、すべての金属を金に変え、すべての学生を霊性修行者(サーダカ)に変え、すべての霊性修行者(サーダカ)を聖賢に変えます。丸暗記でヴェーダを覚えた学僧(パンディト)たちは、ヴェーダの価値に気づかないまま、ヴェーダを、生計を立てる手段として、無駄な議論と弁証のための肥沃(ひよく)な大地として、利用しています。彼らの議論と競争心旺盛な論評は大衆に不信を広げてきただけです。なぜなら、大衆は哲学にも詭弁(きべん)にも感銘を受けないからです。

ヴェーダに対する不敬の報い

シュリ ラーマが、神の化身(アヴァター)としての生涯を閉じようと決意して、氾濫したサラユー川に入水(じゅすい)しようとしていた時、一匹の犬がラーマの一団の後に付いて来ました。その犬に、「なぜ随行者の一団に加わるのか?」と尋ねると、犬は、「私も一緒に天界に入りたいのです」と答えました。「私は前生では熟達したヨーギでした。けれども私は、自制という正道から滑り落ち、自惚れ心の奴隷となって、感興の赴くままに、とっぴで人を引き付けるやり方でヴェーダを講釈しました。その成れの果てに、今や、吠えたり、咬んだり、唸ったりすることを喜ぶ、このような畜生になってしまったのです。そして、私を誉(ほ)めそやし、助長した者たちは、今蚤(のみ)や蝿(はえ)となって私の皮膚にたかって私を悩ませています。主よ、お助けください。この恥辱から逃れさせてください。私はカルマの負債を返しました。私は刑期を務め終えました。」

これがヴェーダに対する不敬の報いです。敬意を持って、ヴェーダの教えを実践することを念頭に置いて、ヴェーダを学びなさい。実践を思いとどまること自体が、不敬です。

ヴェーダという治癒力のある財産から得られる恩恵

もしヴェーダやヴェーダーンタについて敬意と真摯な切望を持って話がなされるなら、誰が何と話そうと、それは熱心に聞く価値があります。私はあなた方の大きな欠点に気づいています。私が講話をしている時には、あなた方は際立った熱意と熱心さを持って一つひとつの言葉に耳を傾けます。けれども、学僧(パンディト)や他の人たちがあなた方にとって価値あることを自らの深い学習と霊性修行(サーダナ)に基づいて話をしている時には、あなた方は静かに礼儀正しく座ってはいますが、私の時と同じ熱意と熱心さは見られません。これは間違ったことです。

雨水は、雨どいから流れ落ちようが、洞窟から流れ出ようが、水路や水門を通って流れ出ようが、雨水であることに変わりありません。それと同じように、学僧たちが話すことも真正なものであり、有益なのです。あなた方が関心を持って大切に記憶に留めるべきことは、「薬という治癒力のある財産」のことであって、薬の瓶のラベルのことでもなければ、販売者や製造者の名前や地位のことでもありません。

薬から益を得なさい。自分を癒しなさい。光になりなさい。あなたの実体を顕現させなさい。


出典:『サイラムニュース』No.179, pp.8~10.原典:Sathya Sai Speaks, Vol.8, Ch.36.