ナーラーヤナネックレスの物質化

ラジオ サイ リスナーズ ジャーナル「Heart 2 Heart」Volume 3 2005年8月より

スワミ(サティヤ サイ ババ)がサイ クルワント ホールでのヴェーダの吟唱を2003年9月18日にスタートさせてから、ヴェーダはだいぶ普及し、興味をもたれるようになっています。スワミの学校(小学校を含む)の学生の過半数が、学識のあるブラフミンの僧侶のごとき自信をもってヴェーダを唱えているだけでなく、西洋の舌で古代サンスクリット語を発音する学習をしている多くの国々の帰依者たちも加わって、世界規模のヴェーダの復興が起こっています。

古代の伝承によると、莫大な知識が4つのヴェーダ(リグ ヴェーダ、ヤジュル ヴェーダ、サーマ ヴェーダ、アタルヴァナ ヴェーダ)として、人類の福利のためにナーラーヤナ神ご自身によって具現化されました。そのようにして、この非常に神聖なる莫大な知識は、人々を人間のレベルから神のレベルへと進化させ、引き上げるのを助けるために、至高神によって人間に贈られました。

しばしば公言されるスワミの使命の一つに、ヴェーダ ポーシャナ、すなわち、ヴェーダの育成と、ヴェーダの卓越と人類社会における本来の栄光の復興があります。ですから、私たち帰依者が、暗記することでヴェーダの学習を進め、おそらく通例まずまずのイントネーションでヴェーダを唱えさえしても、私たちは依然として、これで十分なのだろうか? スワミの望んでおられることはこれがすべてなのだろうか?と自問する必要があるのです。

神聖な聖典を一心に集中して声高らかに唱えていた敬虔な聖者の話があります。おそらくその聖者よりもいくらか賢かった別の学識ある聖者が、その聖者に自分が唱えていることを理解しているかどうか尋ねました。聖者は、理解する必要はない、なぜなら、自分は神のために唱えているのであり、神はそれを完全に理解しているからだ、と答えました。

この一風変わった話は、おそらく私たちの状況をもっともよく要約しています。私たちはスワミがサイ クルワント ホールに来てお座りになり、私たちの唱えるヴェーダを聴いて喜んでくださると信じて、自己満足しているのではないでしょうか? あるいは、おそらく、スワミは今、私たちが次のステップに踏み出すこと、つまりヴェーダの意味を理解することをお望みなのではないでしょうか? とどのつまり、ヴェーダを吟唱するという務めは、まさに私たちの利益のためであり、神の喜びや利益のためではありません。ですから、私たちはヴェーダを喜びのうちに唱えつつ、「たとえ私たちは意味を理解していなくても、スワミは理解なさっている」と考えているかもしれませんが、たぶん、今こそ、次のステップを踏み出し、意味を理解する時なのです。そうすることで、私たちは心の底からあふれる思いで、集中し、没頭してヴェーダを唱えることができる上に、最高の利益を引き出すことができるのです。私たちに潜在する完全なる神性に気づくという利益を! 私たちは神だということを!

この前置きをもって、私たちは2005年7月3日の午後にサイ クルワント ホールで起こったことを 順を追ってお話ししたいと思います。スワミはいつものように学生とスタッフと帰依者たちによるヴェーダの吟唱でお出ましになりました。ベランダにお座りになったあと、スワミはいつものように帰依者が手渡してきた手紙を、読み始められました。一通の大きな封筒を開けているとき、スワミは中から小冊子のようなものを取り出されました。スワミはそれを注意深くお読みになり、私たち兄弟のうちの一人をお呼びになりました。彼はスワミの学校の卒業生で、今はアシュラムで働いており、ヴェーダを吟唱する集まりをリードするグループの一員です。スワミは、「I AM GOD」というタイトルの、ヴィヴェーカーナンダに関する数コマのマンガが描かれたページを開いて、彼にその小冊子をお渡しになりました。そしてスワミは、自分たちが唱えているヴェーダの重要性を理解するためにそれを読むようにとおっしゃいました。彼はうやうやしくその小冊子を受け取って席に戻りました。


ヴェーダの重要性を理解するためにそれを読みなさい

数分後、彼は再びスワミの御前に呼ばれ、スワミから、ナーラーヤナ ウパニシャッドを唱え、聴衆にその意味を説明するようにという指示を受けました。最初に「ヴェーダム グループ」がナーラーヤナ ウパニシャッドという叙事詩の讃歌から二節を唱え、そのあとで、彼が聴衆のためにそれを訳しました。このように二節ずつ唱えていくことで、ナーラーヤナ ウパニシャッドのすべてのマントラが聴衆のために訳されました。

ナーラーヤナ ウパニシャッドは、4つのヴェーダで大いに賞賛されているナーラーヤナ神の栄光をテーマとしています。最初の節は創造をテーマとし、リグ ヴェーダからの学びを描写 しています。――ナーラーヤナから生命原理、心、全感覚器官、空、火、水、地は生じ、これらはすべて宇宙を形成するために結びついている。ブラフマー、マハー ルドラ、インドラ、すべてのプラジャーパティ、半神たちのすべてはナーラーヤナから生じた。12のアーディッティヤ、11のルドラ、方位 を司る8神、すべてのヴェーダ、あらゆる種類の富はナーラーヤナから生じた。すべてはナーラーヤナによって維持され、最終的にナーラーヤナに融合する。

ヤジュル ヴェーダからは、ナーラーヤナが永遠の原理であることを学びます。――ブランマー、シヴァ、インドラはどれもナーラーヤナである。地上と天界、時間と方位 はすべてナーラーヤナである。ナーラーヤナは内界と外界を形作っている。すべてはナーラーヤナの現れである。過去と未来はすべてナーラーヤナの現れである。ナーラーヤナは汚れなく、つねに至福に満ち、無二なるものである。ナーラーヤナでないものは何もない。ナーラーヤナはまさに至高神そのものであり、唯一無二なるものである。ナーラーヤナとヴィシュヌは全宇宙に遍満している。ただナーラーヤナだけが存在する。

サーマ ヴェーダは、原書の音「オーム」に続いて「ナモー」と唱えなければならないと述べています。――それからナーラーヤナの瞑想が来る。「オーム」は一文字の言葉、「ナモー」は2文字の言葉、「ナーラーヤナーヤ」は5文字の言葉である。これらすべてが合わさって、「オーム ナモー ナーラーヤナーヤ」という8文字のマントラが形成される。このマントラはマントラの王である。ひたむきな信仰心と信愛でこのマントラを唱える者は、健康と長寿と繁栄を得るであろう。その者はまた、「プラジャーパティ」の地位に到達するであろう。その者はナーラーヤナご自身という不滅の地位に達するであろう。

プラナヴァ(「オーム」)は、「A」、「U」、「M」という3つの音からできている。プラナヴァはまさに生命原理である。プラナヴァはこの上なき至福である。プラナヴァはブラフマーすなわちアートマという至高の状態である。それを知り、ヨーガを習得した者は、「オーム」を唱えてプラナヴァを崇め、解脱という住処に達する。そのようなヨーギは、生まれ、生き、死ぬ という鎖を絶ち切る。「オーム ナモー ナーラーヤナーヤ」というマントラを崇拝するものは、「ヴァイクンタ」という至高の住処に到達する。ナーラーヤナは至高の神である。ナーラーヤナは「パラブランマー」である。ナーラーヤナの玉座はハートの蓮華の花である。ナーラーヤナ神に関する知識こそが最高の知識である。ナーラーヤナ神は稲妻のごとく輝く。デーヴァキーの息子クリシュナ神は実にフランマーの化身である。クリシュナ神はマドゥスーダナとも崇められる。ナーラーヤナは万物に内在している。ナーラーヤナご自身こそがすべての基盤である。ナーラーヤナは原因をもたない。ナーラーヤナはすべてのものの、原因をもたない原因である。これがアタルヴァ ヴェーダで公言されていることである。

このマントラの最終節は、ナーラーヤナ ウパニシャッドを4つのヴェーダの真髄という宝石と呼んでいます。――このウパニシャッドを、朝に唱えるならば前夜に犯した罪が滅ぼされる。夕暮れに唱えるならば昼間犯した罪が取り除かれる。昼に唱えるならば5種の大罪を粉々にする。このウパニシャッドを唱えるものは、すべてのヴェーダを学習したのと同じ功徳を得、ついにはナーラーヤナと一つになるであろう。

このようにして訳がなされ、オーム ナモー ナーラーヤナーヤというマントラの重要性と、このマントラがどれほどヴァイクンタという至高神の住居に到達する助けになるかが解釈されているとき、スワミは、彼(訳をしていた人物)にだけはかろうじて聞こえる声で、英語で質問をなさいました。「ヴァイクンタの意味は何ですか?」。なんという神ならではの巧みな質問でしょう! 私たちのほとんどにとって、その答えは――ヴァイクンタはヴィシュヌ神の住居です。という型どおり、期待通りのものでしたが、私たちより学識があり、泰然としていた彼は、スワミがある御講話でおっしゃっていた定義を思い出し、「ヴァイクンタとは、偏狭ではなく、広くどこまでも拡大していくものです」と答えました。ご自身が期待していた答えに、スワミは顔を輝かせ、教え子がとうとう「理解した」ことを知った教師のごとく、喜ばしい笑みを浮かべました。

マントラの吟唱が終わると、ホール全体が意味深い静寂に包まれました。スワミは全員の気分を引き上げるためにしばしばなさる、古風に上向きに向ける仕草で、手の平を上げられました。そして突然、バガヴァンは何の前触れもなく右手を力強く回して、美しい金のネックレスを物質化なさったのです。

物質化されたネックレス

スワミはネックレスの留め金を外すと、訳をした彼を呼び、ネックレスをお渡しになりました。また、彼に小声で何かおっしゃり、彼は注意深くそれを聞いていました。 今や全聴衆は感動し、ネックレスの壮麗さは、すべての人に、一番後ろの烈に座っていた人にさえも、はっきりと見ることができました。

スワミがネックレスの意味を説明されている

彼はネックレスを掲げて聴衆の方に向きました。大急ぎで彼のためにマイクが用意されました。彼は、バガヴァンが彼に説明してくださったそのネックレスの意味を、全員に向けて説明しました。

群衆に向けて見せられたネックレス

バガヴァン(サティヤ サイ ババ)は、そのネックレスは神聖なマントラ――「オーム ナモー ナーラーヤナーヤ」の力を携えているとおっしゃいました。彼はさらにバガヴァンが説明してくださったことを述べました。すべてのヴェーダ、ウパニシャッド、他の聖典は、人が到達しなければならない最終目的地――神への道を照らしている。「オーム ナモー ナーラーヤナーヤ」というマントラにはすべての聖典の真髄が含まれている。神性の父としての側面 、母としての側面がこのこのマントラに含まれている。そのどちらかが欠けていれば創造はあり得ない。しかし、もし、人が深く熟考するなら、二つの側面 であるプルシャ(神)とプラクリティ(自然)には違いがないことを理解する。実際、二つは一つであり同一である。と、スワミはおっしゃいました。

意味を説明し終えると、彼はスワミの方に向き、ネックレスを手に持ってスワミに返そうとしました。スワミは彼に、ネックレスはポケットに入れておいて、あとで返すようにとおっしゃいました。何と名誉なことでしょう!

そして、神の御前に浴した、何と喜びに満ちた午後だったでしょう。スワミはどれほどゆっくりと辛抱強く、私たちがスワミに帰るのを導いておられることでしょう。会場にいたすべての人にとって、ナーラーヤナ ウパニシャッドは、それが唱えられるとき、すべての者を生き生きとさせ、この午後に起こった出来事からの神聖な光景を心に思い浮かべさせ、私たちの存在の奥深くまで、ぞくぞくするような感動を伝えることでしょう。明らかに、時は来ました。そして、今がその時です。私たちが、神に目覚め、呼び覚まされ、神を熱望し、崇め、神に到達しますように!


出典:http://www.sathyasai.or.jp/ashram/news_pn/npn20050801.html原典:http://media.radiosai.org/journals/Vol_03/08AUG01/prashantidiary.htm#necklace