マントラと現代科学

パート1

私たちの太古の伝統と実践は、しばしば現世代によって偽りを暴かれるか、数多くの疑惑を追及されます。この記事は、悟りを開いた先祖たちから無償で与えられたものの妥当性を、現代科学のレンズを通して明らかにし、説明しようとするものです。

ダシャラー祭のヤグニャ〔供儀〕の喜び

2017年9月30日の朝、プラシャーンティ ニラヤムのプールナ チャンドラ大講堂では、ダシャラー祭の行事の一環として、7日間の供儀のプールナーフティー〔満供式〕が執り行われました。ホールは信仰深い人々であふれかえり、集まった何千人もの人々の興奮は、その浄化のバイブレーションによって感極まっていました。

多くの者にとって、ただその雰囲気の中にいて、うっとりするようなマントラの声音に浸ることは、実に気持ちの高まる体験です。可愛らしい幼子の純粋無垢な微笑みを受け取る喜びは文学で表現できず、ジャスミンの芳香は言葉で描写できず、プラシャーンティ〔サイ ババのアシュラム〕のサマーディ〔御廟〕の前に座する平安はどんな複合アルゴリズム〔問題解決の手順〕によっても測ることができないように、このヴェーダの供儀の近くにいるという崇高で微妙、かつ強力な感情は、人のハートを満足させられるほど明確に言い表すことはできません。

燃え盛るギーがどのようにして世界平和をもたらすのか?

このヤグニャ〔供儀〕の目的は世界中のあらゆる生き物の安寧である、とバガヴァンはおっしゃっています。火を燃やし、その火に惜しみなくギー〔精製バター〕を注ぐことが、どのようにして世界平和に貢献できるのですか? と、いわゆる合理主義者は尋ねるかもしれません。

では、想像してみてください。アマゾンの森林の、人と交流しない読み書きもできないある部族民が、生まれて初めてテレビというものを見て、その人工の奇妙な機械装置を通して、実際に何千マイルも離れた場所で起こっている出来事を見ることができる、と誰かに教えられたとします。その先住民は、間違いなくショックを受けるでしょう。

彼はただ「信じられない! なんて不気味なんだ!」と思って、その場から走り去るかもしれません。あるいは、「これはまったくでたらめだ、あり得ないことだ。」と言って、その体験全体をはねつけるかもしれません。あるいはその場に立ちすくみ、「これは素晴しい奇跡だ、驚くべきことだ! 」と叫んで、画面に映ったシーンをじっと見つめるかもしれません。

ある意味で、マントラはそれと同じなのです。マントラの数々は、形而上学〔存在の根本原理を研究する哲学〕を通して、この物質世界に関する洞察を受け取った霊性の科学者たちが私たちにもたらしたものです。

太古の科学者たちが考案した方法

現代の科学者たちが、何らかの自然の神秘の答えを見つけるため、総合研究施設を建てるために何十億ドルも使う一方で、古の科学者たちは、私たちの存在という複雑な現象の中に深く沈潜して莫大な時間を費やし、自然に関する数多くの秘密を明らかにしました。

これは、外側にあるものは内側にあるものの反映にすぎず、その逆もまたしかりであるゆえに功を奏しました。たとえば、物理学者たちは、原子〔物質を構成している最小の構成要素〕はミニチュアの太陽系のようなものであり、太陽の役割を果たしている堅い原子核〔原子の中心にあるもの〕の周囲を、電子〔原子内で原子核の周りを回っているもの〕が惑星のように周回していることを教えてくれます。けれども、原子核は電子の軌道に比べれば、信じられないほど小さいのです。

有名な英国の劇作家であるトム・ストッパード卿は、最高の比喩を与えています。彼はこう言いました。「もし、原子核が聖パウロ大聖堂(英国で2番目に大きい教会建築)の祭壇だとすれば、電子は、ある瞬間は大聖堂の祭壇にいて次の瞬間は円天井にいる一匹の蛾のようなものです。」

一つの原子からその原子の有するすべての空間を押し出したとします。さて、もし世界中のすべての人のすべての原子の空間を押し出したら、全人類を一個の角砂糖の中に収めることができるかもしれません!

私たちの周りにあるすべてのものは、そんなふうに「空洞」なのです! 信じがたいことではありませんか?

大宇宙とは、実際には小宇宙です。古の賢者たちは、もし一方のもつれを解けば、もう一方のもつれも解けることを知っていました。こうして、賢者たちは私たちの周りにある数多くの現象を解き明かし、未来の世代がその英知から恩恵を受けられるように、この知識をマントラという形の中に詰め込んだのです。

賢者たちは無私無欲でそうしました。誰もお金を払う必要はなく、また賢者たちも誰にも何一つ求めませんでした。今日の多くの科学者たちとは違って、賢者たちは同胞をより豊かで、より満たされた人生に向けて導くこと以外、何の意図も持っていなかったのです。

頭が鈍いため、あるいは愚かにも関心がないため、このことを知らない人々は、ちょうど現代の機械装置〔テレビ〕を知らない先住民のように、これらの〔マントラの〕詠唱や実践を、わけのわからない戯言や風変わりなものとして忌み嫌います。

人々は、「ああ、これは何世紀もの間、ずっと続いている何の科学的根拠もないチンプンカンプンな戯言で、私たちは『進歩主義者』としてこんな昔風の習慣を承認するのをやめるべきだ」と感じているのです。

多くの場合、現代の若者たちは、こういった伝統を荒唐無稽なものだと考えます。

これに関して、バガヴァンは1992年のあるご講話の中で、次のように述べていらっしゃいます。

「クリシュナが、何人ものゴーピカー(牧女)たちの家に、同時に現れることができたのは信じがたいことでしょうか? もし今日、ヤントラ(テレビのような機械)にそのようなことができるのであれば、マントラには、さらにどれほど多くの力が備わっていることでしょう? 」

「大気中の電磁波は、常に音と形を保存することができます。スピリット(アートマ・神の魂)の力は、途方もないほど素晴らしいものです。」

実際、現代の軍備を『ラーマーヤナ』や『マハーバーラタ』の中で述べられている軍備と比較してみると、当時は雨を降らせることができたり、何千マイルも離れた場所の標的を狙ったり、敵の足元から大地を移動させたり、あるいは一瞬にして敵を焼いて灰にする破滅的大災害を作り出せるようなアストラ(武器)の数々が存在していたのです。

このすべては、現代のように大量の高価な兵器工場を作ることによってではなく、効能あるマントラの力と共に一本の普通の矢を射ることで成し遂げられました。

それは、容易には信じられないことのように思われます。なぜなら、私たちはアマゾンの先住民がどのくらいスマートフォンに関して無知であるかさえ理解できないのですから。

それと同時に、テレビを不気味なものとして退けず、テレビの作り出すものを信じて、その結果、テレビがもたらす不思議を体験しているどこかの部族のように、幸運にも、今日これらの太古の慣習を信じている人々は大勢います。その信仰のおかげで、彼らは奇跡を目撃する祝福に恵まれています。

ヴェーダの供儀はいかにして死を招くボパール ガス悲劇の犠牲者たちを救ったか

1984年、マディヤ プラデーシュ州の州都、ボパールで、世界最悪の化学災害が起こりました。「ボパール ガスの悲劇」として知られるこの事故〔ボパール化学工場事故〕は、12月2日から3日にかけての夜半、ある殺虫剤製造工場から42トン近くの猛毒ガス、イソシアン酸メチル(MIC)が偶発的に漏れたために発生しました。

何千人もの人々が死亡し、55万人を超える被災者が、部分的あるいは永久的な障害を負いました。この大規模な人災からほぼ33年を経ていますが、実に今日まで、その化学中毒のトラウマ〔心的外傷〕と悪影響は続いているのです。毒ガスの被災者の癌の発生率は、被害を受けなかった人々に比べて10倍も高く、現在でも時おり早すぎる死が訪れます。

危険がそれほど深刻なものであったにもかかわらず、大気中や水中に放出された致死量の放射性物質にさらされる恐ろしい悪影響から逃れた家族たちがいました。それはまるで、防護シールドが彼らを守っていたかのようでした。彼らはアグニホートラ ホーマというヴェーダの供儀を行っていたおかげで、知らないうちに自分たちの周りに安全な覆いを築いていたのです。

S・L・クシュワハ氏(45)は、12月3日の夜中の1時半、妻のトリヴェニーさんが嘔吐しているのを聞きつけて目が覚めました。やがて彼自身も咳こみ始め、胸に痛みを感じました。目がヒリヒリし始め、 呼吸が苦しくなりました。子供たちも数分以内に起きてきて、同様の症状を訴えました。

クシュワハ氏には、何が起こったのか手がかりがありませんでした。窓の外に目を向けると、人々がパニックになって逃げまどうのが見えました。1マイル離れたユニオン カーバイド工場でガス漏れがあり大気中に毒が拡がっている、と誰かが叫んで教えてくれました。

クシュワハ氏も逃げることに決めました。しかし、妻はクシュワハ氏を制止してこう言いました。「なぜアグニホートラをしないの?」 ともあれクシュワハは同意して、妻と一緒にそれを行いました。20分後、すべてのひどい症状は消えていました。

アグニホートラ〔火の供儀〕は、生物燃料エネルギー、薬学、農業、地球工学というヴェーダの科学に基づいたヴェーダの供儀です。その供儀では、日の出と日没のバイオリズムに合わせて銅製のピラミッド〔ピラミッドを逆さにしたような形の四角錐の護摩壇〕の中に火が用意され、ヴェーダを詠唱しながらその火にギー、牛糞、米、その他の材料が捧げられます。

その供儀で発生する煙は、大気中の有害な放射性物質の粒子を集め、微妙なレベルで放射能の影響を中和させることがわかりました。何ひとつ破壊されず、ただネガティブ〔陰性〕からポジティブ〔陽性〕へと一変するのです。

M・L・ラトーレ氏(33)は、MIC(イソシアン酸メチル)中毒で多くの人が亡くなったボパール鉄道駅の近くに、母親と妻と4人の子供たちと一緒に住んでいました。ラトーレ氏は5年間アグニホートラを執り行ってきました。その災難が襲った時、ラトーレ氏はただちに供儀を始め、もう一つの儀式である“トラヤムバカム ホーマ”〔トラヤムバカム マントラを唱えた後にスヴァーハーと唱えながら祭火にギーを投じる供儀〕と一緒にそれを続けました。彼の家族には毒ガスの被害はありませんでした。

もう一つの際立った例は、プラジャーパティ一家の傑出した事例です。O・N・プラジャーパティ氏の目はひどい炎症を起こして充血し、妻は危篤状態に陥りました。2人の息子も同様の状態でした。

プラジャーパティ氏はすぐにアグニホートラを執り行い始め、それから1週間以内に、命にかかわる発作症状はすべて消えました。彼の妻も癒されましたが、回復にはより長い時間がかかりました。

13歳になる息子の一人は結核を患いました。プラジャーパティ氏は息子に従来の医療を施さず、アグニホートラの治療のほうを選びました。数週間の内に、アグニホートラやマハームルッテュンジャヤ ホーマの空気のポジティブな〔好ましい〕影響と、アグニホートラの灰を定期的に薬として用いることにより、息子の感染症は癒されました。ここに大変興味深い事実があります。この悲劇の一年後に生まれたプラジャーパティ氏の末娘は、実に彼の子供たちの中で一番健康な子供なのだそうです。

この話は「汚染を打ち負かすヴェーダの手法」というタイトルで、1985年4月7日付のインド全国紙の一つに掲載され、報道されました。

秘訣は何でしょう? どうやってこの“奇跡”は起こったのでしょう?

旧ユーゴスラビア出身の物理学者、ミロスラヴ・ハーバー氏のある説によれば、私たちは自然(非放射性)の形で各元素を身体に与えることにより、放射性元素を身体に吸収するのを防ぐことができるそうです。ひとたび身体がそれらの元素〔自然の形の元素〕でいっぱいになれば、身体は同じ放射能のどんなバージョン〔型〕もはねつけます。たとえそれらが過去に吸収されたものであっても、ゆくゆくは非放射性元素に取り変えられるのです。

では、私たちの身体を守るこの非放射性元素はどこで手に入るのでしょうか? 答えはアグニホートラの灰です。その灰には、92の自然化学元素とそれらの自然放射能が含まれているのです。最も素晴らしいことは、たとえホーマ〔護摩供儀〕が放射性物質を使って執り行われたとしても、その灰は常に非放射性であることです!

コーチン市の科学者、太古の火の儀式は自然界を清め、生産性を高めていたと語る

同様の驚くべき新事実が、コーチン科学技術大学の光通信国際学校の元校長、V・P・N・ナムプーリ教授率いる科学者チームによって明らかにされました。そのチームは、ケーララ州トリシュール地区の辺鄙な村、パンジャルで行われた4000年続く火の儀式の効果を詳細にわたって研究しました。その “アティラトラム”と呼ばれる供儀は、2011年4月4日~15日まで執り行われました。

科学者たちによると、その火の儀式は種子の発芽プロセスを促進したようです。さらに、その火の儀式が行われた区域周辺では、大気や水や土壌の中にいる微生物〔細菌〕の数が著しく減少しました。チームは3種類の種子――ササゲ、緑豆、チャナ豆――を儀式の会場の四方のさまざまな距離の場所に植えつけました。火の祭壇〔護摩壇〕の近くに鉢を置くと発育が良くなることがわかりました。中でも効果が際立っていたのはチャナ豆で、他の場所よりも2000倍も速く成長していました。

その研究で焦点を当てたのは、3か所――護摩壇の中、500メートル離れた場所、1.5キロ離れた場所――で微生物コロニー〔共生集団〕を数えることでした。かつて行われた微生物分析では、供儀の最中とその後の4日間、護摩壇近くの大気は清められ、微生物コロニーはほとんど存在しなかったことが明らかになっています。それは大気だけでなく、儀式の会場周辺の水や土壌についてもそうでした。

最も驚嘆すべきことは、この調査チームが1918年と1956年のアティラトラムの火の祭壇〔護摩壇〕付近でテストを実施した時、――幸運なことにそれはまだナムブーティリ〔ケーララ州のブラフミンの家系〕の家々の裏庭に保存されているのですが―― 彼らは微生物がいない状態がずっと続いているレンガの数々を発見したのです。

「それは、その儀式の効果が長続きしている印です」と研究者たちは言いました。大気に関する他のポジティブな〔好ましい〕変化が同様に長続きするかどうかの研究も注目されています。

結びとして、ナムプーリ教授はこう述べています。

「これらの発見は、ヴェーダの儀式に関する迷信に基づいた見解を一掃するのに役立つばかりか、自然と環境を改善するために、そういった伝統を存続させることにも役立ちます。」

ルッドラムが再びエネルギーを与える

サンスクリット語の学者であるG・R・プラヴィーナ氏も、バイオサイエンス〔生命科学〕を教えていることとは別に、プラシャーンティ ニラヤムのシュリ サティヤ サイ高等学校の生徒たちにヴェーダの詠唱と学習に取り組むよう鼓舞してきました。彼は言います。「すべてのヴェーダの讃歌には、一般的に理解されているより何倍も深い意味があります。ヴェーダのマントラの英訳はきわめて無力で不完全なのです。」

「たとえば、プラシャーンティ ニラヤムで毎日唱えられている有名な讃歌“シュリ ルッドラム”を例に挙げると、“ナマカム”と呼ばれる第一部は、表面的にはヴェーダの神であるルッドラ神〔シヴァ神/ルドラ神〕にひれ伏し、自然の猛威からの保護を求めているかもしれません。しかし、同時に、この讃歌全体は医療体系に関するものなのです。」

「それを解読できる人は、実のところルッドラムには、人間を悩ませるすべての病気とそれぞれの病気に効く特定の薬草およびその調合の手順が内に連ねられていることを知っています。それゆえ、このマントラの中でルッドラ神は、私たちをどんな危険からも守ってくれる最も偉大な治療者として賛美されているのです。」

個人的な証言をぜひ聞いてみたくて、私はプラヴィーナ氏に尋ねました。

「あなたはおそらく学生時代とのちに教鞭を執られるようになったプッタパルティでの35年の間、何万回もルッドラムを唱えてきた方だと思います。個人的に、ルッドラムはどんなふうにあなたの役に立ちましたか?」

「私はもう50歳近くになりますが、こんにちでもこれほど元気なのは、これらのマントラを唱えることから生じる力とバイタリティー〔活力〕のお陰です」とプラヴィーナ氏は答え、こう続けました。

「私がグラウンドに行くと、私の3分の1の年齢の少年たちが私とプレーしたがります。というのは、それが困難でやりがいのあることだとわかっているからです。彼らはよく私の機敏さに感嘆しています。」

「ヨーガのインストラクターである以外に、私はサンスクリット語で100近い詩句も創作してきました。さらに、学生たちには舞踏も教えています。ですから、私は神がチャンスを与えてくださるところであれば、どこでも自分にできる多方面の貢献をしているのですが、それは、私のヴェーダ詠唱への情熱のおかげで可能なのだと確信しています。ヴェーダの詠唱は、私を力強く、エネルギッシュにしてくれるのです。」


原典:http://media.radiosai.org/journals/vol_15/01SEP17/Mantras-and-Modern-Science-part-1.htm