ヴェーダとは何か

SSOJにおけるヴェーダ学習の歩み

SSOJで学習してきたヴェーダや祈り

ナマカムに関するスピーチ

『サイラムニュース』2009年3・4月号より

私は、すべての人に

ヴェーダのエッセンスを教え、

その貴重な贈り物を与え、

そしてまた古代の英知を擁護し、

それを維持するために来たのです。

1968年11月23日の御講話


千数百年前からバーラタ(インド)の聖典が日本に伝わり始め、長い時を経て日本の文化・宗教・霊性の中に溶け込んでいきました。

そして21世紀、2004年から2008年まで、バーラタの最も聖なるヴェーダが日本中に響きわたりました。14のヴェーダのマントラと3つのサンスクリット語の祈り、その他さまざまなシローカ等を老若男女、多くの人が声高らかに唱えました。ヴェーダの真髄、ガーヤトリー マントラは、より力強く日本を包みました。

2008年末、シヴァのヴェーダ「ナマカム」の学習という大きな節目が与えられました。それは、日本だけでなく世界中の兄弟姉妹と共に歩む、歴史に残る大きな祭典と83歳の御降誕祭に向けての、学びの道でした。

ここで、ヴェーダに関するスワミの御言葉と、ヴェーダに関する私たちの活動の記録、そして2008年9月9日にプラシャーンティ ニラヤムのヴェーダ クラスの中で行われたスピーチをご紹介します。

ヴェーダとは何か

『リーラー カィヴァッリャ ヴァーヒニー』より

修行者の質問:

世俗での生活の場、日常の物質的な場においては、人はヴェーダからどのような光を期待できるというのでしょうか?

サイ:

この世に生きるものは皆、欲しいものが手に入るよう、そして、嫌なことを避けられるよう励みます。ヴェーダはその両方を成就させる方法を説いていることを知りなさい。言い換えるなら、ヴェーダは、しなければならないことと、してはならないことを明言しているのです。その定めと禁令に従うなら、人は利益を得、悪を避けることができます。ヴェーダは、物質的なものと霊的なもの、現世と現世を超えた世界の両方に関係しています。本当のことを言えば、すべての生命がヴェーダに満ちているのです。人はヴェーダの戒めを守らずにはいられません。「ヴェーダ」は、「知る」という意味の「ヴィッド」を語源としています。ですから、ヴェーダは、全知、すなわちグニャーナを意味し含有しています。

修行者の質問:

誰がヴェーダを分類して集成したのですか?

サイ:

ヴィヤーサという、ナーラーヤナ(神、ヴィシュヌ)自身の一部分の化身です。ヴィヤーサは聖賢パラーシャラの息子でした。ヴィヤーサはヴェーダ聖典と霊性の書に精通していました。ヴィヤーサ自身も偉大な聖賢でした。ヴィヤーサは優れた編纂者でした。人類の幸福を促進するために、ヴェーダを4つの部分に編集し、万人が正しい生活を送ることを容易にしました。また、ヴェーダを4つに分類して5つのサンヒターを作りました。


ヴェーダに関するバガヴァンの御言葉

たとえヴェーダを唱えることができなくても、信愛の心でその音を聴きさえすれば、あなたはより高いレベルへと高められるでしょう。母親の歌う子守唄の意味がわからなくても、子どもはその節を聞くと眠りに誘われるものです。同様に、ヴェーダを一心に聴くことは、計り知れない恩恵を与えてくれます。もし、ヴェーダを反芻(はんすう)し、生活の中でそれを実践するならば、どれほど大きな至福を手に入れることができるか想像できるでしょう。ヴェーダの讃歌はナーダ ブラフマン(ナーダ〔音〕として表れた神)で成り立っています。それにはとても効力があります。

『バジャン 神への讃歌』

不幸なことに、今日、ヴェーダは十分に保護されていないため、その卓越した地位を失っています。ヴェーダを真剣に学びヴェーダに含まれるマントラを定期的に唱える人が、とても少なくなってしまいました。ヴェーダを規則的に学びヴェーダの指示を実践するなら、人間はあらゆる種類の富を授かります。人の生活と運命を支配する基本的な原理がヴェーダには含まれています。ヴェーダは全人類の幸福のための神からの贈り物です。ヴェーダは宗教や身分や国籍をもとに区別をするようなことはありません。ヴェーダのマントラはすべての人が唱えることができます。(スワミはここで、プラシャーンティ ニラヤムで学んでいる外国から来た二人の少年をお呼びになり、シリー スークタムを唱えるようにおっしゃいました)

ヴェーダがすべての国に広がり、宗教や身分や国籍などによらず、すべての人がヴェーダを学び唱えることがスワミの望みです。

2006年8月9日の御講話

SSOJにおけるヴェーダ学習の歩み

1961年10月6日、ダシャラー祭期間中にプラシャーンティ ニラヤムにおいて、第1回全インド ヴェーダ プルシャ サプターハ グニャーナ ヤグニャ(ヴェーダを伴う大規模なヤグニャ)が開催されました。翌年の1962年10月16日には、プラシャーンティ ニラヤムにおいて第1回全インド プラシャーンティ ヴィッドワン マハー サバ(ヴェーダ学者の研究会)が開かれました。この時以降毎年ダシャラー祭期間中に、このヤグニャと研究会が開かれるようになり、現在に至っています。

2003年9月18日、この日のダルシャンから、毎回ヴェーダが唱えられるようになりました。これを耳にした日本人帰依者の「自分もヴェーダを学びたい」という祈りは、ほどなくして叶えられることになりました。一人のサイ大学卒業生が来日し、大阪センターを訪れたのです。ヴェーダを学びたいという日本人の熱意に動かされ、2004年10月23日、ダシャラー祭の最終日であるヴィジャヤダシャミーの日に、大阪で日本初のヴェーダ クラスが始まりました(『サイラムニュース』2005年3・4月号(PDF)参照)。

数人から始まったヴェーダ クラスの輪が、日本全国に広がることになったきっかけは、2005年3月20日に名古屋で行われた第8回SSOJ全国大会でした。熱心にヴェーダを学んできた大阪の帰依者たちが、一同の前でヴェーダを唱えたのです。この出来事が、日本全国から集まった帰依者たちの心を動かし、すぐに日本各地でヴェーダ学習に取り組むことが決まりました。同年5月3~4日には東京で関東地域合同ヴェーダ クラスが、7月18日には大阪で関西地域合同ヴェーダ クラスが、2005年10月30日には九州地域合同ヴェーダ クラスが開催されました。時を同じくして、大阪だけでなく、東京と福岡にもヴェーダに精通したサイ大学卒業生が来日して、センター/グループを訪れるようになり、日本各地のセンター/グループで定期的に熱心なヴェーダ クラスが開かれるようになりました。

2006年7月には、プラシャーンティ ニラヤムで第3回SSOJ全国サーダナ キャンプ イン プラシャーンティ ニラヤムを催すことが決まりました。スワミの御前でヴェーダを唱える、という目標を得たヴェーダ学習の熱意はさらに高まり、7月のサーダナ キャンプに向けて、同年2月18~19日には名古屋で第1回全国ヴェーダ クラスが、5月3~4日には横浜で第2回全国ヴェーダ クラスが開催されました。

この7月のサーダナ キャンプでは、サティヤ サイ高等学校のサンスクリット語教師、ヴェーダナーラーヤナン先生の指導を仰ぐこともできました。そして7月20日、スワミの御前でバル ヴィカス生徒によるヴェーダとエイサー太鼓演奏、日本でヴェーダ学習が始まった経緯を紹介する演劇、日本人によるヴェーダを披露する祝福に恵まれたのです。今までインド以外の国々から来た帰依者たちがヴェーダを唱えることはありましたが、基本的にその国に在住しているインド人が中心でした。日本人がこれほど熱心にヴェーダ学習に取り組んでいたというニュースは、世界の帰依者に大きなインパクトを与えました。そしてこれをきっかけとして、世界中のサイ帰依者が、国籍・民族・文化的背景を問わず、熱心にヴェーダ学習に取り組むようになったのです。

2006年8月9~20日にはプラシャーンティ ニラヤムで、翌2007年1月20~30日にはチェンナイで、アティ ルッドラ マハー ヤグニャという、ルッドラム(*1)を1万4641回唱えるヤグニャが開催されました。

2007年5月21日にプラシャーンティ ニラヤムで行われた仏陀プールニマー祭では、ダルシャンの際に、日本チームがヴェーダのリードを担当するという栄誉に恵まれました。2007年9月15日、静岡で行われた第9回SSOJ全国サーダナ キャンプ(全国大会から改称)では、全国から集まった帰依者たちがヴェーダを唱えました。2008年9月13日に京都で行われた第10回SSOJ全国サーダナ キャンプでは、ナマカムを唱え、サイの学生と全世界のサイの帰依者がナマカムを学習することになった経緯が紹介されました。ダルシャン会場ではルッドラム(ナマカム)のヴェーダ クラスが行われるようになり、世界中の帰依者のために、インドのサティヤ サイ出版協会のホームページ上にもルッドラム(ナマカム)の学習コーナーが設けられるようになりました。

2008年11月15~17日、プラシャーンティ ニラヤムでバガヴァン御降誕から1000回目の満月をお祝いするサハッスラ プールナ チャンドラ ダルシャナ シャーンティ マホーツァヴァムが行われ、インド全土から集まった数百人のヴェーダ学者たちによる、人類の幸福と世界平和を祈るヤグニャが行われました。世界中からヤグニャに集まった帰依者たちは、黄金の馬車からのダルシャンという、希有な機会に恵まれ、ヴェーダが響き渡る中、至福の時を過ごしました。

現在(2009年2月)までにSSOJで学習してきたヴェーダや祈り

2004年から始まったヴェーダ学習で、2009年1月までに私たちが学んできたヴェーダのマントラやその他の祈りは次の17編です。これらには、日本語テキストがあり、CDも用意されています。(テキスト・音源

ナマカムに関するスピーチ

次に、マンディールで全帰依者と共に行われたナマカムのヴェーダ クラスの中でサイ大学卒業生のBro.スディンドランが行った、ナマカムに関するスピーチをご紹介します。

オーム シュリ サイ ラム

バガヴァンの蓮華の御足に、心より愛を込めて平伏(プラナーム)を捧げます。

ヴァーガルターヴィヴァ サンプリクタゥ

ヴァーガルタ プラティパッタィエー

ジャガタッ ピタラゥ ヴァンデー

パールヴァティーパラメーシヴァラゥ

(カーリダーサの「ラグヴァムシャム」1章1節)

我々は皆、シヴァ神とシャクティ女神の化身(シヴァ シャクティ スワルーパ)であられる、我らの最愛なる主バガヴァン シュリ サティヤ サイ ババ様の御前にいます。バガヴァンが我々皆に「シリー ルッドラム」を習うことをお許しくださったのは、この上ない幸運です。「シリー ルッドラ プラシナ」(ルッドラムの別称)はヴェーダの大変重要な一篇であり、クリシュナ ヤジュル ヴェーダ(黒ヤジュル ヴェーダ)の中にあります。この詩節はシヴァ神(の栄光)を不滅のものとするために用いられます。

スワミはしばしば「霊性へと向かう最初の段階は、『私』と『私のもの』という双子の兄弟に打ち勝つことです」とおっしゃいます。これに関連して、「ナマカム」すなわち「ルッドラム」は大変重要な役割を担っています。スワミは、ローカクシェーマ、すなわち全世界の幸福と安寧のために、それを実践するよう指示なさいました。それは、まさしく我々が、ありとあらゆるものの中に神を見ること、ありとあらゆるものの中の神に敬意を表することから始まります。それは、動かない物質に対してだけでなく、また、生き物に対してだけでなく、取るに足りない存在、大小にかかわらずこの全世界のあらゆる存在に対してです。それゆえ、我々は、「ナマハ(*2)」、すなわち、「私のものではない、私のものではない、すべては神のものである」と言うのです。

神はあらゆる所にいらっしゃいます。

我々は、この御教えを心に抱きつつ、あらん限りの集中力をもって、誠実さと信愛を込めて、この詩節を唱えるべきです。詩節の言葉一つひとつの表現の明快さや訳の意味に注意を傾けることはもとより、上げるべきところでは上げ、下げるべきところでは下げるといったように、イントネーションにも注意を払うべきです。

我々がこの捧げものをバガヴァンの蓮華の御足に捧げるにふさわしいものにすることができるよう、私は祈ります。そして、まさに我々がバガヴァンの御前で習い唱えているということに対して、つまり、我々がずっと熱望し、偉大なる聖賢たちでさえ得ることができなかった、この最高の好機を授けてくださったことに対して、私はここに集っている全員を代表して、バガヴァンの蓮華の御足に最大かつ心からの感謝を捧げます。ジェイ サイ ラム(拍手)

スワミは学生たちに、ルッドラムを学び、11月23日のスワミの誕生日までに暗記するようにと指示なさいました。

2008年9月9日

プラシャーンティ ニラヤムにて

*1 シヴァを讃えるヴェーダ「(シリー) ルッドラム」には、第1部「ナマカム」と第2部「チャマカム」があり、それぞれ11章ずつで構成されている。今回スワミが学ぶように指示なさったのは「ナマカム」

*2 ナマハすなわち「帰命する」という言葉は、「屈する」「心を傾ける」という意味のナマスを原語とする。

「ナマハとは、ナ(~でない) ママ(私のもの)という意味であると、ババはおっしゃいます。つまり、私のものではありません! 私は私のものではなく、貴方(あなた)のものです! ということです」

N.カストゥーリ著『全訳サティヤ サイ ババ様の108の御名』p.22より