ヴェーダを奨励しなさい
日付:1987年9月28日
場所:プラシャーンティ ニラヤムのプールナチャンドラ講堂
クリシュナ神はギーターにおいて、主はアヴァターとなって悪を懲らしめ、善を守る、と宣言しました。これは、アヴァターたちの目的は悪事を働く者を滅ぼすことであるという意味ではありません。悪というのは悪い思考のことです。悪い思考は誰の中にもあります。滅ぼされなければならないのはそれらです。ダルマは神性そのものです。ヴェーダは、善い思考を伸ばすこと、邪悪な考えを排除すること、人類が善良な生活を送るのを助けることに努めています。ですから、ヴェーダを大切にし、奨励する必要があるのです。
もし人類がヴェーダやシャーストラ〔経典〕で禁じられていることをきちんと守るなら、人類は苦悩から解放されるでしょう。私たちの困難のほとんどは、ヴェーダを忘れてしまったために起こるのです。引力はずっと地球に存在していました。とはいえ、科学者であったニュートンが実験をして、地球の重力を発見しました。地球はニュートンの発見以前から引力を有していました。それと同じように、ヴェーダの聖仙たちはヴェーダを基盤に霊的な実験をしました。聖仙たちが見出したことがバーラタ〔インド〕で明らかになったからといって、ヴェーダはバーラタ以外の場所では知られ得ないと言うことはできません。ヴェーダは全世界を網羅しており、どこにでも内在しています。単に重力に関する真理はニュートンをはじめとする外国人が発見したものだからという理由で、バーラタ人が重力を否定することはできません。それと同様に、バーラタ人がヴェーダの真理を発見したからという理由で、インド以外の人々がヴェーダの正当性を否定することはできません。
インドにおけるヴェーダへの敬意の減少
実際、他国の大勢の人がヴェーダを崇敬しています。マックス ミュラー〔1823~1900年〕は、ヴェーダの起源とヴェーダの内容を徹底的に学習し、それらに関する学術書を書きました。彼はヴェーダの讃歌の意味を理解するために苦労して学び、一生を学問に捧げました。マックス ミュラーはモークシャ ムーラ〔解脱の基盤〕と呼ばれるようになりました。
インドの現状の悲劇は、バーラタ人がヴェーダを外国人ほど高く評価していないことです。インドの極貧は、ヴェーダへの敬意の減少に伴って大きくなってきました。ヴェーダはインドの繁栄の源泉です。バラモン階級の人たちは、ヴェーダの衰退の責任を負わなければなりません。もし彼らが適切な方法でヴェーダを守ることに配慮していたら、この国が厄日の日々に陥ることはなかったでしょう。少なくとも今、バラモン階級の人たちは、目を見開いて、正しい線に沿ってヴェーダの学習を推進しようと努めるべきです。
サイの教育機関では、小学生から博士課程レベルの学生までヴェーダを学んでいます。学生たちは受けるに値する奨励を与えられています。他のほとんどの教育機関では学生が正道から外れることを許されているせいで、この国は混乱と混沌に沈んでいるのです。人々は、言っていることとやっていることが違うという傾向にあります。言動の不一致は、大衆がヴェーダを軽視している結果です。もし責任ある地位にいる人たちが自分の発言どおりの行動をしていないなら、どうして国民が彼らを信用することなどできるでしょう?
ヴェーダを普及する時には恐れずにいなさい
神の愛の化身たちよ!
どの人も、正しい線に沿ってヴェーダを養いますと誓うべきです。この国の幸福と世界の繁栄はヴェーダにかかっています。あと10年か20年のうちに、ヴェーダの知識を所有しているわずかな人たちがこの世からいなくなります。ですから、ヴェーダの学習を普及させるための人材と奨励を提供するために、一致団結して対策を講じることが、緊急に要されているのです。
ヴェーダは生計を得る手段として用いるものではありません。ヴェーダは神とのつながりを構築するための手段です。ヴェーダは大衆を楽しませるために用いるものではありません。ヴェーダを学んだ人たちは、ヴェーダを推進することに一生を捧げなければなりません。そうして初めて、その人たちはバーラタの古代の伝承の栄光を復活させるために尽くすことになるのです。
現代では、ヴェーダに定められている儀式の一切が放棄されています。ほとんどの人々が意味のない迷信を実行しています。いったい何人の人がヴェーダの戒めを忠実に守っているでしょうか? 人々は、自分の生活を犠牲にしてでもヴェーダの戒めを忠実に守ろう、という覚悟をしなければなりません。ヴェーダを自分の命そのものと見なさなければなりません。こうした決意と信念を持っている人だけが、ヴェーダを普及する適任者です。
人々の間にヴェーダを普及する時には、恐れずにいなさい。あなたは真理を公言しようとしているのに、どうして恐れを抱くのですか? 恐れなければならないのは、嘘を教えている人だけです。あなたの生活は危険な状態にあるのですか? もし人生が続くとしたらどうですか? ヴェーダを守るために生活を犠牲にすることよりも気高いことは何もありません。それほどの不屈の決意の精神を持って、ヴェーダの知識を復興することに着手すべきです。あなたは自分が明言したことを実行しなければいけません。それから、その知識を人に伝えなさい。
ヴェーダは万物にみなぎっている
人は誰もがヴェーダを崇敬しなければいけません。ヴェーダは生活の基盤そのものです。日々の生活での行いの一つひとつはヴェーダを起源としています。ヴェーダは万物にみなぎっており、そのことを皆が知っていようがいまいが、それは事実です。
供犠(ヤグニャ)では、ナーラーヤナ神自らがヴェーダの権化として現れます。供犠(ヤグニャ)はナーラーヤナ神の現れです。供犠(ヤグニャ)は犠牲(ティヤーガ)を意味します。犠牲というものの本当の意味は、すべての悪い思考、エゴ、悪い性質、不浄な欲、間違った行いを、手放すことです。そうして初めて、神のヴィジョンを体験する〔神の御姿を見る〕ことができるのです。
マインドが空っぽであれば、何でも入れることができます。けれども、あらゆる種類のがらくたが詰まった頭を、あなたはどうやって空(から)っぽにするのですか? 頭を空(から)にしないで、どうやってあなたは清らかな思考のための場所を見つけることができますか? あなたのハートはあらゆる類の感情でいっぱいです。それでどうやってあなたのハートをヴェーダの甘露で満たすことができますか? 誰もが、ヴェーダの復興のために働くこと、そして、ヴェーダに則(のっと)った生活を送ることを、自分の第一の義務と見なさなければなりません。
出典:『サイラムニュース』No.176, pp.10-13.原典:Sathya Sai Speaks, Vol.20, Ch.23.