ヴェーダナーラーヤナン先生によるご講演

『サイラムニュース』2013年5・6月号より

サティヤ サイ高等中等学校のヴェーダ教師であり、毎朝夕にサイ クルワント ホールにてヴェーダを奉納しているヴェーダナーラーヤナン先生が、2012年10月24日から11月6日まで日本に滞在し、福岡・神戸・大阪・京都・名古屋・横浜・東京で講演会が開催されました。2012年10月31日に名古屋で行われた講演の内容をご紹介します。

私の母なる神、サイの蓮華の御足に心の底からの愛と祈りを込めて、尊敬するダヤルさん、名古屋のシュリ サティヤ サイ センターの尊敬する役員の皆様、そして本当に愛するバガヴァンの学生さん、親愛なる兄弟姉妹の皆様に、サイ ラムとご挨拶申し上げます。

今夜、ここに皆さんと一緒に時を過ごすことができることを本当に光栄に思います。スワミがおっしゃっているように、善き人々との交わりは過去世において重ねた徳があって初めて可能になるものです。私たちが生きている間に善き人々との交わりを持つことができるのは、私たちが過去世に積んだ徳のおかげです。実際、本日皆さん方とこうして一緒に過ごすという機会に恵まれました。甘美なる主、バガヴァン シュリ サティヤ サイ ババ様を思い起こさずにはいられません。

実のところ、皆さんのセンターは非常に恵まれています。なぜかと言うと、スワミがご自分の愛する学生たちを、皆さんと一緒に過ごし、ヴェーダ学習を指導する使者としてお遣わしになったからです。皆さんの心の中に真摯に求める心があれば、スワミは必ずそれに応じてくださいます。スワミは「一歩踏み出しなさい。そうすれば私はあなた方に十歩近づきましょう」とおっしゃいます。「あなたが一粒の涙を流せば、私はあなたの目から百粒の涙を拭ってあげましょう」とおっしゃいます。ある学生がこの御言葉を引用して話をしていたとき、スワミはそのスピーチを止められて、「確かに、あなたが私に一歩近づけば、私はあなたに十歩近づきます。しかしそれは正しい方向へ向かう一歩でなければなりません。もし誤った方向へ踏み出すのであれば、スワミが来ることは期待できません」とおっしゃいました。不正が頭をもたげ、正義の力が弱まるときにはいつでも、必ず至高の神が人間の姿をとって時代から時代へとこの地上に降臨されます。バガヴァッドギーターの中でクリシュナ神は「おお、アルジュナよ。正義が衰退するとき、不正がはびこるとき、そのときにはいつでも、私自身が姿を現す」と言いました。そのクリシュナ神の約束通りに、世界中どこを見渡しても正しい行いというものが見当たらず、また不正が踊り狂っているような時代になったとき、神様ご自身がバガヴァン シュリ サティヤ サイ ババという御姿で降臨されたのです。

バガヴァンは「自分の使命は4つである」とおっしゃいました。1番目はヴェーダの復興、ヴェーダを養い育てること、2番目はヴェーダを唱える人々を励まし守ること、3番目はダルマを確立すること、4番目は帰依者を守ることです。なぜ、ヴェーダを守り、ヴェーダを学ぶ人々を守らなければならないのでしょうか? その答えは後半の2つの文章にあります。後半の1つはダルマを確立するためということですが、そのためにはヴェーダを養い育てるということが必要となります。もし、ダルマというものを一本の木に喩(たと)えるならば、その木を保護するために、根に養分を与えなければなりません。そして、その根こそがヴェーダに他なりません。ですからヴェーダを養い育てなければならないのです。

昔はバーラタと呼ばれていたインドの国全体で、ヴェーダが非常に盛んに行なわれていた時代があります。しかし、歴史的なさまざまな不幸な出来事、ムガール帝国やその他の国々からの侵略をインドの国は受けてきました。ナーランダ※、タクシャシラ※という素晴らしい図書館に保存されていた貴重な文献もすべて焼かれてしまいました。

※ナーランダ:世界最古の大学の一つであるナーランダ僧院のこと。

※タクシャシラ:現パキスタン・パンジャーブ州にあった古代都市。ヴェーダーンタ哲学やインド仏教が栄えた。遺跡は現在ユネスコの世界遺産に指定されている。タキシラ、タクシラとも呼ばれる。

後の時代になり、英国に支配されるようになると、太古からの伝統がすべて根こそぎにされました。しかし、バーラタの文化が他の文化と違うのは、サナータナダルマ、永遠の法であることです。ですから神ご自身が降臨することを決意されました。人々が忘れてしまったヴェーダを復興させるため、神ご自身が人々を励ましてヴェーダを学ばせるようになさったのです。

1962年にスワミはヴェーダ パータシャーラ(ヴェーダ学校)を設立されました。当時は、ヴェーダを学ぶ学生の数が非常に少なかったのです。開校式に行われたご講話の中で、スワミは次のように宣言されました。「いつの日かこの活動が大学へと発展する」とおっしゃったのです。そのとき、そのご講話を聞いていた人々は笑いました。なぜかと言えば、そのころのプッタパルティは、今日皆さん方が目にするプッタパルティではなかったのです。皆さん、現在のプッタパルティはご存じですけれど、当時は、プッタパルティの村で見かけることのできる石の建物といえば、今のマンディールの中心にある建物があっただけで、その周囲のものは一切ありませんでした。そのころは、マンディールの前に、現在の屋根のあるサイ クルワント ホールはなく、人々は砂の上に座っていました。マンディールに向かって座り、左を見ると、チットラーヴァティー川の砂が見えたものです。人々が滞在する心地よい場所は、木の下でした。それが当時のプッタパルティの様子で、そのような時代に、スワミは大学のことをお話しになったのです。

当時、ヴェーダを学ぼうとする学生は10人くらいでした。スワミはそこにカーマーヴァダーニ先生というインド最高のヴェーダ学者を連れて来られたのです。その方はクリシュナ ヤジュル ヴェーダをすべて唱えることのできる素晴らしい学者でした。ガナパーティと称される非常に素晴らしい学者です。

ヴェーダにはさまざまな唱え方があります。私たちが今唱えているやり方は、サムヒターパータと呼ばれているものです。サイの学生が皆さんに教えていることと思いますが、ヴェーダの中で一番大切な要素はイントネーション、抑揚、スワラです。ヴェーダにおいては、単語よりもイントネーションが大事になります。他に神を讃(たた)える詩(ストートラ)や真言(マントラ)などもありますが、ヴェーダとの違いとはイントネーションをどれだけ重視するかというところにあります。もし、私が百人のバガヴァッド ギーター学者を集めて、バガヴァッド ギーターを唱えてくださいとお願いすれば、その百人は百通りのイントネーションで唱えるでしょう。しかし、100人のヴェーダ学者を呼んで、あるヴェーダを唱えてくださいとお願いすれば、全員が同じイントネーションで唱えるわけです。

今から何百万年も前に、聖者(リシ)たちが霊的な力によって感知したヴェーダが、当時のままに現代に伝えられています。学者たちはヴェーダのイントネーションをそのまま代々伝えていくため、その唱え方に工夫を凝らしました。ですから何通りかの唱え方があります。皆さんが唱えている方法はサムヒターパータと言われるものですが、他にパダパータ、クラマパータ、ジャダーパータというものがあり、最も難しいものはガナパータと呼ばれるものです。今挙げた5つが主要な唱え方ですが、その他にもいくつかの唱え方があります。このさまざまな唱え方は、ヴェーダのイントネーションを純粋なまま伝えるため、聖者たちが霊的な力によって、目に見えない世界で発見したものです。

ヴェーダは4つに分類されます。リグ ヴェーダ、ヤジュル ヴェーダ、サーマ ヴェーダ、そしてアタルヴァナ ヴェーダの4種類です。ヤジュル ヴェーダは、クリシュナ ヤジュル ヴェーダ(黒ヤジュル ヴェーダ)とシュクラ ヤジュル ヴェーダ(白ヤジュル ヴェーダ)の2つに分けることができます。さらに、それぞれのヴェーダは、サムヒター(本書)、ブラーフマナ(祭儀書)、アーランニャカ(森林書)、ウパニシャッド(奥義書)の4部門に分かれています。学問には理論面と実践面があります。ブラーフマナには、私たちが唱える主なマントラがまとめられています。アーランニャカには、マントラを使って行う儀式の作法などが説かれています。それは、カルマ カーンダ(実践的な教え)です。ウパニシャッドは、一人ひとりの魂であるアートマと、至高の魂である普遍的で絶対的なブラフマンを、最終的にどのようにして一体化させるか、ということを詳細に説いています。

クリシュナ ヤジュル ヴェーダは、82のパルナに分かれています。その82のパルナを、何も見ずにすべて唱えられる学者たちがいます。毎年、ダシャラー祭期間中に7日間ずっとヴェーダを唱え続ける儀式、ヴェーダ プルシャ サプターハ ヤグニャハが行われますが、そのときにクリシュナ ヤジュル ヴェーダの82のパルナが唱えられます。先ほどお話ししたカーマーヴァダーニ先生という方は、スワミのヴェーダ学校の最初の校長先生になったのですが、その方はクリシュナ ヤジュル ヴェーダ82のパルナすべてを、ガナパータと呼ばれるやり方で唱えることができました。

ガナパータというものがどのようなものか、これから説明いたします。

「オーム ガナーナーム トワー ガナパティグム ハヴァーマヘー」

これは、ガナパティ プラールタナーの最初の1行ですが、この部分をガナパータで唱えるとこのようになります。

「オーム ガナーナーーム トワー トワー ガナーナーーム ガナーナーーム トワー ガナパティム ガナパティム トワー ガナーナーーム ガナーナーーム トワー ガナパティムー トワー ガナパティム ガナパティム トワー トワー ガナパティグム ハヴァーマヘー ハヴァーマヘー ガナパティム トワー トワー ガナパティグム ハヴァーマヘー ガナパティグム ハヴァーマヘー ハヴァーマヘー ガナパティム ガナパティグム ハヴァーマヘー カヴィム カヴィグム ハヴァーマヘー ガナパティム ガナパティグム ハヴァーマヘー カヴィム ガナパティミティ ガナー パティムーー」

最初に唱えた1行の半分でこの長さです。ですから、82のパルナのクリシュナ ヤジュル ヴェーダすべてをガナパータで唱えると、何ヶ月もかかることがたやすく想像できると思います。

このように唱えることにどんな意味があるのだろうか、と疑問に思う方もいるかもしれません。何百万年もの昔は、今のように文字がありませんでした。本を手に入れることはできません。ですからヴェーダは人々の口から耳へ、口から耳へと伝えられて、耳で聞くことによって学ばなければなりませんでした。本がなかったときに、そのような長い言葉をどのように覚えるかということで、聖者たちはどの言葉がどの言葉の後に来るかを知ることのできる方法を考えつきました。そのため、唱えるときに言葉が後ろに行ったり、前に行ったりします。それはただ前から後ろに戻るだけでなく、どの文字の後にどの文字が来るか、どの文字が下がるか、上がるか、を覚えるための方法でした。

イントネーションの上がり下がりを示す記号には、いくつかの種類があります。イントネーションの上下がない場合はウダーッタで、イントネーション記号はつきません。イントネーションを下げるときはアヌダーッタで、文字の下に下線が引かれています。イントネーションを上げる場合はスワリタで、文字の上に一本の短い縦線がついています。「ナーーム」のように、伸ばしてからイントネーションを上げることを示す場合はディールガ スワリタで、文字の上に2本の短い縦線がついています。そのような、上がったり下がったりするイントネーションのルールは、昔の聖賢たちによって確立されました。

先ほどお話しした、カーマーヴァダーニ先生というヴェーダ学校の最初の校長先生になった方は、真のヴェーダの達人で、ルッドラムの最後の音から最初の音までを逆に唱えることができました。そのような素晴らしい専門的な知識に、昔の聖賢たちは到達していたわけであります。

ヴェーダ パータシャーラというヴェーダの学校は、1962年に始まり、1968年から1969年にかけて卒業生を出しました。彼らはヴェーダだけを学び、外側の世界については学ばなかったので、卒業後に社会に適合することは非常に難しいと感じました。なぜなら、その学生たちも自分で生活費を稼がないといけないわけです。そのため、今の世の中に適合するためには、ヴェーダの学習だけでは充分ではないとお考えになったスワミは、今のように初等学校から高校、大学までお創(つく)りになったのです。

「バーガヴァタム」(ヴィシュヌ神とその化身の物語集)の中に非常に素晴らしい出来事が書かれています。小さな子どもであったクリシュナは、とてもいたずらっ子でした。母親のヤショーダのところには、クリシュナに関する苦情がいつも届いていました。ゴーピーたちはいつも「クリシュナがいたずらをしないように、どうかしっかり見張っていてください」とヤショーダに訴えました。しかし、小さなクリシュナはとてもすばしっこく、ヤショーダが捕まえることができないくらい速く走って逃げることができました。しかし、ヤショーダは小さなクリシュナの弱点を知っていたのです。その弱点とは、クリシュナはバターが大好きだということです。ヤショーダはムチを持った左手を背中で隠し、右手にバターを持ってクリシュナをおびき寄せようとしました。バターに誘われたクリシュナがやって来ると、ようやくヤショーダはクリシュナを捕まえて罰を与えることができたのです。

同じように、スワミは学生に「もし、私が皆さんに霊的な教育をすると言ったら、あなた方の両親は誰一人として、あなた方をスワミの学校へ入れようとはしないでしょう。ですから、世俗の教育というバターで皆さん方を引き寄せなくてはいけません。そして、ヴェーダやヴェーダの霊的な意味を私の後ろに隠して、世俗の教育というエサを見せる、ということをしなければなりません」と、おっしゃったのです。

このようにして、スワミは初等学校から高等中等学校、大学と始められたのですが、当初は学生全員がヴェーダを学んでいたわけではありません。先ほどご紹介いただきましたが、私は1982年に哲学の修士課程を修了して、たまたまプラシャーンティ ニラヤムに来ました。しかし、その学校には哲学の科目はなかったのです。翌年、スワミは私に「スワミの学校のすべての生徒にヴェーダを教えなさい」と指示されました。それで、1983年からスワミの高等中等学校の生徒は全員がヴェーダを学ぶこととなり、私はそのための道具となりました。それまでは、興味がある人だけがヴェーダを学ぶということで、学生全員がヴェーダを学び唱えていたわけではなかったのです。

私自身のことを言いますと、1978年後半まではヴェーダのことをまったく知りませんでした。その当時の夏季休暇中に、スワミが何人かの学生をお選びになり、「カーマーヴァダーニ先生のところへ行って、ヴェーダクラスで勉強しなさい」とおっしゃったのです。スワミはそのクラスにいつも出席なさっていました。そのクラスが終わると、スワミは一人ひとりにヴェーダを唱えさせ、誤りがあれば、スワミご自身が訂正されたのです。ある学生が、「みんなが唱えているときに、私もそれに加わって唱えることはできますが、一人で唱えることはできません」と言いました。スワミは「それではいけません。一人で全部を唱えられるようにならなくてはいけません」とおっしゃいました。ですから、そのころは何人かの選ばれた学生たちだけがヴェーダの学習をしていたのです。その当時から私の名前はヴェーダナーラーヤナンでしたけれど、本当にまったくヴェーダのことは知りませんでした。

というわけで、スワミの学生たち全員がヴェーダを学ぶということは、1983年から1984年ごろに始まりましました。中高生たちがヴェーダを唱えているのを見て、初等学校の生徒たちもヴェーダの学習を始めました。そのうちに大学の学生たちもヴェーダの吟唱に加わってきました。このようにして、スワミの学校の全員がヴェーダを唱え始めたわけです。

2002年のある日のこと、スワミから「スワミがダルシャンに出るときには、いつもヴェーダが唱えられているようにしていなさい」と指示されました。私の記憶に間違いがなければ、それは2002年9月18日から始まりました。そのときは夕方のダルシャンのときだけでしたが、その年の12月24日からは「朝のダルシャンのときにもヴェーダが唱えられているように」と、スワミがお決めになりました。それからスワミはヴェーダを唱えることに重点を置かれるようになり、何時間も座ってヴェーダをお聞きになるということが始まりました。帰依者たちは、スワミはヴェーダが非常にお好きであるということを感じて、帰依者たちも皆ヴェーダを学び始めたのです。2008年になりますと、スワミがダルシャンに来られないこともありましたので、バジャンと同じように、ヴェーダも朝1時間・夜1時間唱えるというプログラムが、スワミによって定められました。

アティ ルッドラ マハーヤグニャがプッタパルティで行われたとき、初日のご講話の中でスワミは「ヴェーダはインドの人のみのものではなく、すべての人のものである」、「一つの階級のためのものではなく、すべての階級の人のためのものである」とおっしゃいました。そして「世界中のすべての人がヴェーダを学び唱えることを望みます」とおっしゃったのです。中には、こんなに難しいものを皆が覚えて唱えるようにしなさい、というのは一体どういう意味だろう? これは一宗教の一階級のためのものではないのか? これを唱えることによってどんな意味があるのだろうか? 今日の時代背景にとってどんな意味があるのだろうか? と考える人々もいるかもしれません。これは無限に広い大海のようなテーマであり、今日は時間が限られているため、そのすべてを詳細に説明することはできませんが、せめてその輪郭だけでもお話ししたいと思います。

ヴェーダそのものが無限にあります、ヴェーダ ヴィヤーサは、当時存在していたヴェーダを、サーマ ヴェーダ、リグ ヴェーダ等々に分類しました。ヴェーダは「アパゥルシェーヤ」、「アナーディ」と呼ばれています。「アパゥルシェーヤ」とは、「それを作った人、書いた人はいない」という意味で、「アナーディ」とは「始まりがない」という意味です。もし今の21世紀の世界で、ある人が「これがヴェーダの本であり、誰が書いたものでもなく、ひとりでにできたものです」と言ったとします。一冊の本を見せて、誰が書いたものでもないと言われて、それを信じる人がいるでしょうか? 聖者たちが自分で書いたのだろう、と考える人はいるかもしれません。

例えば、スーリヤ ウパニシャッドという太陽を讃えるヴェーダの中には、ブラフマリシという聖者の名前が出てきます。そのため、これはブラフマリシが書いたものである、と考える人がいるかもしれません。そうであれば、アポウルシェーヤ、誰かが作ったものではない、誰かが書いたものではない、ということがどうして言えるのでしょうか? ブラフマリシは聖者ですけれど、私たちと同じ人間であることには間違いありませんので、人間が書いたものではない、ということが一体どうして言えるのでしょうか?

このような聖者たちは「リシ」という言葉で呼ばれますが、「リシ」とはマントラを霊視することのできた方々のことです。それは、元々そこに存在していたマントラを霊視して、人々に伝えたということであり、その聖者がマントラを創作して書いたというわけではありません。たとえば、コロンブスがアメリカ大陸を発見したという場合、コロンブスが元々そこに存在していたアメリカ大陸を発見し、その存在を世界の人々に伝えたのであって、コロンブスがアメリカ大陸を作り出したわけではありません。聖賢は「マントラを霊視した人」と表現しますが、それはマントラを創り上げた、ということではなく、元々存在していたマントラを霊視した、という意味なのです。

ですが、マントラは耳で聞くものであって、目で見るものではない、と考える人もいるかもしれません。聖賢たちがマントラを霊視することができたというのであれば、それはどこかにあったはずですが、どこにあったのでしょうか? そして、それが存在していたのだとしたら、どのような形で存在していたのでしょうか? 今の時代は科学が発展しているため、私たちにとっては次のように考えるとわかりやすいかと思います。

ここにラジオがあって、周波数をラジオ東京という放送局に合わせるとします。そうすれば、東京で放送されている番組をはっきりと聞くことができます。では、どうしてそれを聞くことができるのでしょうか? ラジオの電波は、この大気中のどこにでも存在しているわけです。そのラジオの電波を、皆さんは目で見ることができるでしょうか?いいえ、見ることはできません。耳でそれを聞くことはできるでしょうか? どんなに耳のいい人でも聞くことはできません。ところが、ラジオという適切な機器を用い、周波数を同調させることによって電波に含まれていた音声を聞くことができるようになるわけです。

このように、聖賢と呼ばれる方々は、自分自身を宇宙の根本的な存在に同調させることによって、その存在を音の形で感知した、ということになります。全宇宙がそのようなさまざまな形式の波や振動で満たされています。

私たちの肉体は電子や原子でできています。この机も原子でできています。皆さんの身体も原子でできています。皆さんと私の間にある空気も原子でできています。ですから、究極的にここに存在しているものは何かと言いますと、空間いっぱいの原子がそれぞれ、あちらこちらへ動き回っている、ということです。へラクレイトス(古代ギリシャの哲学者)が「あなたは銀河全体に影響を及ぼすことなくして、小指を動かすことはできない」と言ったのはそのためです。

話を元に戻します。ヴェーダは「アパゥルシェーヤ」すなわち「誰が書いたものでもない」という特徴に戻ります。もしヴェーダが元々存在していたのであれば、それはどのような形で存在していたのでしょうか? それは誰が生み出したのでしょうか? どこから生まれたのでしょうか? 至高の存在である神がそれを創った、と考える人もいるかもしれません。しかし、神ですらそれを創ったわけではないのです。ヴェーダは「アナーディ」と呼ばれています。これは「起源がない」という意味です。ですから神ですらもヴェーダの起源ではないのです。もし神がヴェーダを創ったとすれば、神が創造する前は、ヴェーダが存在しなかった時期があるはずです。もし神が創ったのだとすれば、その後から存在したことになり、「起源はない」「アナーディ」ということにはなりません。

「アナーディ」とは「始まりがない」という意味です。宇宙が存在する前から、いつも存在している至高のエネルギー、それは神とも呼ばれますが、その神もまた「アナーディ」と言われています。

これはサナータナダルマ、すなわち永遠の法の中で信じられていることですが、ブラフマーと呼ばれる創造神と、物事を維持するヴィシュヌ神と、破壊を司るシヴァ神がいます。ブラフマーが創造の神なら、ブラフマー神が創造したのだろうと考えるかもしれません。元々の存在である至高のエネルギーが、創造の働きとして現れたものがブラフマー神であり、維持する働きとして現れたものがヴィシュヌ神であり、破壊する側面を現したものがルッドラ神あるいはシヴァ神である、と考えられています。

そのような創造の時期が終わり、宇宙がなくなったときには、創造、維持、破壊の神は元々の至高のエネルギーの中へ戻っていきます。それは昔からクモに例えられています。日本にもクモはいるのでしょうか? 私はまだ日本で一匹も見ていないのですが。クモを観察したことがある方は分かると思いますが、木の上にいたクモが、突然糸を伸ばして下に降りてきたとします。次にまた上へと昇っていくときには、糸はなくなっています。つまり糸はまたクモの中に戻っていくわけです。全宇宙というものは、至高のエネルギーがクモの糸のように、巣を張って、宇宙を展開していくのですが、ある時期が来るとすべてがまた神の中へ戻っていきます。そのような創造の過程が繰り返されるわけですが、その創造が起こるたびにブラフマー、ヴィシュヌ、マヘーシュワラが出現するわけです。それは職場の役職みたいなもので、一つの役職を努め終えたら退職するというようなものです。

ブラフマー神の寿命は100年です。この100年は、私たちが考える百年とは違います。皆さんはすべての時間が4つのユガ(時代)に分けられていることをご存じだと思います。クリタ ユガ、トレーター ユガ、ドワーパラ ユガ、カリ ユガとありますが、それぞれのユガは何万年という非常に長い時間です。カリユガが終わると、クリタ ユガ、トレーター ユガ、ドワーパラ ユガと、またサイクルが続いていきます。クリタ ユガからカリ ユガに至るサイクルが1000回繰り返されたときが、ブラフマー神の半日にあたります。朝の6時から夕方の6時までです。さらにそのサイクルがあと1000回繰り返されたときに、夕方の6時から朝の6時になるわけです。それがブラフマー神の1日で、ブラフマー神の寿命は100年になります。ですから、今の宇宙を創ったブラフマー神の年齢は、50歳を少し過ぎたあたりです。

このブラフマー神がヴェーダを創ったのでしょうか? いいえ、このブラフマー神がヴェーダを創ったのではなく、ブラフマー神が元々存在していたヴェーダを利用して、この宇宙を創造したと言われています。ですから、ヴェーダを創造したのはブラフマー神ではありません。先ほど言いましたが、至高の神には起源がないと言われていて、ヴェーダにも起源がないと言われています。2つの起源がないものが同時に存在するということはあり得るのでしょうか?

その疑問に対する答えがブリハダーランニャカ ウパニシャッドの中に書いてあります。たとえ、至高の存在であったとしても、いかなる存在も呼吸することなく存在することはできません。ですからヴェーダは、「至高の存在の呼吸」と言われています。宇宙全体が、これらのヴェーダによって生じた音の波によって、創られるのです。

もし私たちの目が電子顕微鏡みたいなものであれば、小さな原子があらゆるところに動き回っているのが見えるかもしれませんが、元々は宇宙そのものが、そのような波動、動きによってできたわけです。私たちがダルマに反するような行い、例えば森を切ってしまうとか自然破壊とかをすると、元々宇宙に存在していた音の波のパターンが変化してしまいます。私たちが自然の道理に反するような行いをすると、自然が反作用を起こして、地震や津波、ハリケーンといったものを引き起こしてしまうのです。

スワミは以前から、「私たちは人類に対して奉仕をしなければならない」とおっしゃっています。ですから、さまざまな災害が起こると、サイの帰依者たちは被災地へ行って、食べ物を配ったり、衣類を配ったりして奉仕します。しかし、そのような自然災害が起こった後に奉仕をするのではなく、起こる前に防ぐことができるのだとすれば、それははるかに大きな奉仕だと言えないでしょうか? どうしたらそれができるのでしょう?

小さな池を考えてみてください。水面はとても静かです。池の真ん中に石を投げ込むと、波が起きます。その波は池の淵まで届きます。その起きた波を止めたいとき、もとの静かな水面に戻したいときには、何ができるでしょうか? 例えば、池の周辺に数人が座って、池の表面を静かに揺らすと、中心から来る波を中和する形の波が起こり、全体として、波が中和されて、静かな水面に戻すことができます。

同じように、静かな池の水面のように、宇宙全体にはヴェーダの音の波が満ちています。一部の人々の悪い行いによって、自然がそれに対する反応を起こします。つまり、自然の中の波のパターンが変化するわけです。宇宙の元々の静寂をたたえる波の形に戻すには、どうしたらよいでしょうか? それは、ヴェーダを唱えることによってできるのです。もし、私たち10人がヴェーダを唱え始めれば、その音の波動が、悪いパターンの波を中和する働きを始めます。そうして私たちはこの宇宙に平安を取り戻すことができるわけです。全地球が破滅の方向へ向かって突っ走っています。インドの人だけではなく、世界中のすべての人々がヴェーダを唱えられるようになるように、とスワミが強調されていた理由はそこにあるのです。

それだけではありません。ヴェーダはただ唱えるだけのものではないのです。私たちはスークタム(神への讃歌)のようなヴェーダを唱えていますが、ヴェーダそのものが知識の宝庫なのです。ヴェーダのサンスクリット語の意味を調べてみると、私たちには意味がわからないことだらけです。例えば「プルシャ スークタム」には、「プルシャが我が身を犠牲にして火が生まれた」など、いろいろなことが書かれていますが、犠牲にするということであれば、プルシャ以外に何かが存在していたのか?等々、さまざまな疑問が浮かんでくることと思います。昔の聖者たちは、ヴェーダが悪い人々に利用されることを恐れていたので、ヴェーダの意味を秘儀として伝えることにしました。そのため、表面的な言葉の意味からだけでは、理解できないものがある、ということをわかっていただければと思います。もしもっと時間があれば、意味がどのように変化してきたのかを説明することができるのですが。

一つの例を挙げます。皆さんの友だちが富士山に登ったとします。あなたは下に立っていて、上にいる友だちに「そこから何が見えますか?」と叫びます。上にいる友だちは、「あちらに素晴らしい宮殿があって、とても言葉では表現しきれない。その扉は象のように大きくて…」と、いろいろなことを言っています。しかし、あなたはそれを聞いても、何を言っているのかということが全然分かりません。例えば、扉が象のようだと言われましても、象のような形の扉とか、象のように背の高い扉とか、幅の広い扉とか、いろいろな意味が考えられます。私たちは象の理解として、目に見える形ぐらいしか分かっていないので、扉が象のようだと言われても、どういうことなのか、本当には理解できないわけです。もし、皆さんがそれを本当に理解したいと思うのであれば、友だちがいる所まで登り、その人が見ているものを見たときに初めて、これが彼が言っていたことかと分かり、今まで自分が思っていたものとはまったく違っていたことに気づくでしょう。

ですから、皆さんがヴェーダのマントラの意味を本当に理解したいと思うのであれば、ヴェーダを唱えながら、その音を瞑想してください。日本語や英語などで翻訳がされていますが、本に書かれていることは表面的な言葉の意味であって、そこからは決して本当の意味は分かりません。皆さんが瞑想を深めることによって、マントラを霊視した聖者たちと同じところまで意識を高めることができれば、そのとき突然その本当の意味が理解できるようになります。

ヴェーダの中に説かれていないものは地球上に存在しません。つまり存在しているあらゆるすべての物事が、ヴェーダの中に説かれているのです。トレミー※が宇宙の状態を表現するより以前に、ヴェーダの中で、宇宙の中心は太陽であるとか、星はどこにあるとか、星の名前とか、植物学の光合成の働きまでもが、見事に解き明かされています。

※トレミー:天動説を唱えた古代ローマの天文学者プトレマイオスの英語名。

私たちは円周率が3.14だということを知っています。ヴェーダには、円周率を説明している箇所などもあって、瞑想によりその真の意味を把握することができれば、小数点以下16桁から30桁までが正確にわかります。それから、化学や、どうやって凹面鏡を作るか、どのようにして地下水を見つけるかなどを説明しているヴェーダもあります。バーラドワージャという聖者が書いた「ヴィマーシャーストラ」では、航空宇宙学が見事に説明されています。

そうであれば、インド人が世界で初めて飛行機を作って飛んだはずだ、どうしてインド人はそれをしなかったのだろう?と、疑問に思う人がいるかもしれません。実際に初めて飛行機に乗って飛んだのはインド人です。ヴィシュヌ神がガルーダという鳥に乗って飛んだ、という云われがありますが、そういうところから飛行機というものが考えられていったわけです。それから、ラーヴァナがプシュバカ ヴィマーナという空飛ぶ飛行機のようなものを作って、シーターを誘拐しました。アメリカのデイトンにある空軍博物館には、飛行機の歴史として、最初にヴィシュヌ神やラーヴァナが、続いてライト兄弟が紹介されていましたが、いつの間にかヴィシュヌ神やラーヴァナは削除されて、ライト兄弟から始まるようになってしまいました。太古の聖者たちにとっては、一つの場所から別の場所へと移動するために、飛行機を作って移動する必要はありませんでした。彼らは自分たちの体が原子によって作られていることを知っていました。そして宇宙がエネルギーによって満ちていることも知っていました。ですから、太古の聖者たちは己の意思の力だけで自分の身体を原子の状態にまで分解し、宇宙のどの場所にでも再物質化して出現することができました。そういうことができるのであれば、どうしてわざわざ飛行機を作って、一つの場所から別の場所へと行く必要があるでしょうか? それに当時の聖者たちは、ギネスブックの記録など、まったく問題にしていませんでしたから。(笑)

ヴェーダには知識の宝庫が眠っていて、現代の最先端の科学でも到達できていない分野が本当にたくさんあります。ヴェーダの本を勉強することによってではなく、ヴェーダのマントラを瞑想することによって、そういう知識に到達することができるのです。

今日の話のテーマは、「ヴェーダと個人的な体験」ということでしたので、この辺でヴェーダに関する話を終えて、個人的な体験をお話ししようと思います。

ヴェーダについては、これまでに科学的見地から次のようなことが発見され、証明されてきています。ヴェーダを唱える人々はコレステロールのレベルが低く、血圧のバランスが取れ、身体のいろいろなところにある神経が整っています。呼吸に関しても、ヴェーダを唱えることは良い訓練となります。記憶力、記憶を保持する力の双方が向上します。その他にもヴェーダの恩恵というものは数え切れないほどあります。

スワミは、「まず自分自身を助けなさい、それから他の人々を助けなさい」とおっしゃいます。人生において何をするときにでも、一番大切なこととは、神が私たちのそばにいて、いつも私たちを守ってくださる、ということを深く信じるということです。ナーマスマラナをすればするほど、この世に皆さんが達成できないことはない、ということがわかってきます。時間があるときは、常に神の御名を唱え続けてください。そのためにお金を使う必要はまったくありません。ただ一つだけすることは、神のことを想って、神の御名を唱え続けることです。そうすると、さまざまな奇跡が起き始めます。

私は幼い頃から神の御名を唱える習慣がありました。私の人生においても、本当に美しく素晴らしい奇跡がたくさん起きました。今日は時間が限られていますので、小さなエピソードをご紹介しようと思います。これは自慢をするためではなく、皆さんが人生において、本当に素晴らしいことを達成できる、ということを信じられるように、お話しするのです。

ある日、私はチェンナイからプッタパルティへ急いで行かなければならないことがありましたが、乗り物の予約が取れていませんでした。私の従兄弟(いとこ)の一人が、朝早くに駅へ行けば、超特急の列車があり、高価であまり人が乗らないので、それなら席が取れるだろう、と言いました。彼は、私を駅まで送っていくと、帰って行きました。ところがその列車は全席指定で、予約しなければ乗ることができません。コンピューターで調べたところ、その日は満席で、一つの席も空いていなかったのです。

いつも皆さんと共にいてくださるスワミに話しかける習慣を身につけてください。本当にスワミは守ってくださいます。ですから、私はスワミに、「私はどうしても行かなくてはいけません。どうしたら行けますか?」と祈っていました。するとそこに一人の男性がやって来て、「あなたはバンガロールに行きたいですか?」と私に尋ねたのです。私は「はい」と答えました。男性は自分のポケットからチケットを出し、私に渡すと、そこからいなくなりました。チケットには予約者の名前が記入されていて、その名前を変えることはできません。私はそのチケットを見てショックを受けました。そこには私のミドルネームが書かれていて、年齢も同じだったのです。スワミに心から感謝し、何の問題もなくバンガロールに着くことができました。

次はバンガロールからプッタパルティへ行かなくてはなりません。バス停に行きますと、学校の始まる日だったため、満員で、人が乗れる余地はまったくありませんでした。そのとき、このバスではなく別のバスで、ダルマヴァラム※かアナンタプル※など、プッタパルティに近いところまで行き、そこからまた別のバスに乗り換えよう、という思いが湧いてきました。

※ダルマヴァラム:バンガロールから北へ約184km、プッタパルティから南へ約40km離れた町。

※アナンタプル:バンガロールから北へ約212km、プッタパルティから南へ約85km離れた町。

しかし、乗り換えるとさらに時間がかかるので、思い直しました。ぎゅうぎゅう詰めだけれど、このバスに乗って4時間くらいは立っていられるだろうと考えました。満員のバスに何とか乗り込むと、座席はいっぱいで、立っている人はぎゅうぎゅう詰めでした。すると、自分の目の前に一つ、誰も座っていない席があるではありませんか。周りにはたくさんの人が立っているのですが、彼らにはこの空いている席を見ることができないのでしょうか? そのときに思ったことは、元々誰かが座っていて、何かの用事でどこかへ行き、また戻ってくるのだろう、ということです。私は、その人が戻ってくるまでその席に座っていようと思いました。そして、私がプッタパルティに到着するまで、誰もその席には戻ってきませんでした。

このような出来事は、今までに何百回もありました。

ですから、ただ一つ、いつもいつも神の御名を唱えていましょう。スワミは一瞬一瞬どんなときにでもそこにいて、私たちを守ってくださいます。私たちはスワミの手を離してしまうかもしれませんが、スワミは決して私たちの手を離されません。私たちが生きていた時代に、神様がこの地球の上を歩いていらっしゃったのです。本当にこれ以上幸運なことはありません。ですから、神様が私たち一人ひとりに与えてくださった、この最高の機会を最大限に活用しましょう。スワミが示してくださった道を歩みましょう。そうすれば、決して私たちの人生で失敗することはありません。

神様が皆さんお一人お一人を祝福してくださいますようお祈りして、この話を終わりとさせていただきます。