ルッドラムについて

ヴェーダを吟唱するにあたっての注意点

ルッドラムの学習に入る前に

『サイラムニュース』2009年5・6月号より

ルッドラムについて

2008年9月9日の午後に、プラシャーンティ ニラヤムにて、バガヴァンの御前でグループでのルッドラム吟唱が始まりました。この吟唱は、世界の平和と繁栄を目的として行われています。 ルッドラムについて、サナータナ サーラティ誌から少しご紹介します。 

ヴェーダは3つの部分に分かれています。 

ルッドラムは、クリシュナ ヤジュル ヴェーダのカルマ カーンダにあたり、ヤッグニャ(供犠)やホーマ(護摩)を執り行う時に唱えるものとして定められています。 

プラシャーンティ ニラヤム(2006年8月9日から20日まで)とチェンナイ(2007年1月20日から30日まで)で開催されたアティ ルッドラ大供犠祭(マハー ヤグニャ)では、121人の僧侶によって1日11回、11日間のルッドラム吟唱が行われました。 

しかしルッドラムはヤッグニャを行う時のみに吟唱されるものと制限されているわけではありません。ウパーサナ(礼拝)やグニャーナ(知識)に関する分野でも同じようによく唱えられます。ルッドラム吟唱は、個人と環境の浄化に大変効果があります。聖典には、あらゆる罪を滅ぼす最大の力があると書かれています。このマントラは、これを唱える実践者を解脱の道へと導く、全知全能遍在であるルッドラ神の知識について説いています。大勢で唱えるルッドラム吟唱は、すべてにとって最大の善をもたらす、非常に有益な方法であるとみなされています。

Sanathana Sarathi, October 2008, p.317. 

ルッドラムはクリシュナ ヤジュル ヴェーダの中でも最強のものといわれています。つい最近までインドでは、ルッドラムは、洗練された僧侶や深くヴェーダを修得している人たちのみが唱えることを許されており、女性や精神的に安定していない人には聞くさえことも禁じられていました。そのような、ヴェーダの最高の位置を占めるともいえるルッドラムを、宇宙の支配者であるスワミ御自身が今、世界の人々に向けて唱えることを許可されました。私たちはその内的意義を謙虚に受け止めつつ、大切にヴェーダを学習していきたいと思います。 

ヴェーダを学習するにあたって、基本的な発音の注意点やヴェーダの意味、シンボリズムについてご紹介します。


ヴェーダを吟唱するにあたっての注意点 

チャンティング(吟唱)の方法

ヴェーダのマントラは、大きなよく響く声で唱え、その場の周辺を始めとして、なるべく遠くまで、マントラの音で満たされるようにしなくてはなりません。マントラの音は、唱える人の身体にも、聞いている人の身体にもバイブレーションを引き起こし、両者共にその恩恵を受けることができます。ヴェーダを力強く唱えるのは、その音ができるだけ遠くまで響き渡るようにするためです。 

発音やイントネーション(音程)が違えば、マントラを唱える時に生じるバイブレーションを変えてしまいます。各ヴェーダの吟唱は、それぞれ特有のバイブレーションを生み出すので、マントラを唱える時には細心の注意を払わなくてはなりません。 


Ms. Lalitha Vaithilingam, Ms. Nirmala Sekhar and others, Vedic Chants: The Journey Within, 3rd ed., Prasanthi Nilayam, 2010, p.Intro-29.

イントネーション(音程)

ヴェーダ吟唱は、以下の3つの特徴を兼ね備えている時に、初めて最大の効果をもたらすことができます。 

これらに注意を払わなければ、ヴェーダの意味が失われてしまいます。ヴェーダ吟唱の美しさと効力は、一つ一つの音節を正しいイントネーション、すなわち正確な音程で唱えた時に表れます。 

イントネーションについて、もう少し詳しく学んでみましょう。  


4つのイントネーション

最初のスワリタは一番高い音程で、デーヴァナーガリー文字の音節の上に記入された縦線で示されます。ガナパティプラールタナの「ガナパティグム」の「パ」という音節の音程に注意しましょう。 

2つ目、アヌダーッタは低い音程で、音節の下線で表示されています。同じくガナパティプラールタナの「ハヴァーマヘー カヴィム」示す音節、「カ」の音が低くなっているのをよく注意して聞いてください。  

3つ目のディールガ スワリタ(ダブル アクセント)は、音節の上にある二本の縦線で表記されています。この表記は「ガナーナーム」の、「ナーム」で唱えられる二つの異なった音程と、伸ばされている音の長さに注意してください。 

4つ目、ウダーッタは、以上のような音程の上げ下げがないので、表記はありません。これは「ガナパティグム」の「ナ」の部分にあたります。


避けるべき唱え方

ヴェーダ吟唱を次のように唱えてはいけません。 

1. ギーティー、とは歌を歌うように唱える人を指します。このような唱え方は正しくありません。サーマ ヴェーダは音楽的に唱えられるものですが、その上でも承認された音楽的規則があり、好きなように唱えるものではありません。さらに、音とそのバイブレーションには、それぞれの効能があるので、正確なスワラ以外の唱え方をすることは、誤りであるばかりでなく、害を及ぼします。ヴェーダは定められた通りに唱えなくてはなりません。 

2. シーグリー、とは早い速度でさっさと吟唱を終らせる人を指します。これも正しくありません。ヴェーダの言葉から十分な恩恵を受けるには、定められている一つ一つの音節の長さに忠実に発音しなくてはなりません。 

3. シラッ カンピー、とは吟唱中に頭を不要に揺らしたり、上下に動かしたりする人を指します。吟唱中は、集中して真っすぐに座り、純粋なバイブレーションが自然に沸き起こるようにしなくてはなりません。音楽家のように頭を上下に動かすと、バイブレーションを妨げることになります。 

4. リキタパータカハ、とは書かれた文字を読むことによって唱える人です。これも正しくありません。ヴェーダは、教師が口で唱える音を耳で聞いて、正しく暗記するものです。 

5. アナルタッグニャハ、とは意味を理解しないで唱える人のことです。マントラの最大の効果を得るには、マントラの言葉の意味を知っている必要があります。 

6. アルパカンタ、とは弱々しい声で唱える人です。音のバイブレーションがよい影響を与えるためには、はっきりしない声でぶつぶつと唱えるのではなく、一つひとつの音が正しく聞き取れるように唱えなくてはなりません。 

正しいヴェーダの唱え方

たとえば、母猫が子猫を運ぶ時、子猫が落ちないように口でしっかりとくわえますが、傷つけないように、あまりきつくくわえないようにしています。同じように、ヴェーダの言葉は優美に、かつ力強くしっかりと唱えなくてはなりません。 

Sri Rudram, pp.ix-xvi 

シークシャーヴァッリーの中で説かれているヴェーダ吟唱に関する6つの注意点

ヴァルナ(発音)、スワラハ(音程)、マートラー(長さ)、バラム(力)、サーマ(持続性)、サンターナハ(句読点)

1. ヴァルナ(発音

サンスクリットの音節の発音は正確でなくてはなりません。サンスクリット語の音は、中でもヴェーダの言葉の発音は、他の言語にはないものがたくさんあります。ですからヴェーダの音は注意深く聞いて、その通りに発音しなくてはなりません。発音が正しいかどうか確信がない時は、常に音に注意を払うようにしましょう。 

2. スワラハ(イントネーション・音程)

ほとんどのヴェーダの吟唱には、高音、低音、中間音、といった音程、つまり「スワラ」があります。自由に唱えることができ、音符まで記入されることもある、他のマントラや祈りと違って、ヴェーダのマントラは、定められたヴェーダの音程で唱えなくてはなりません。音程は、ある音節は上がり、他のものは下げなくてはなりません。それ以外は、中間の音程を保たなくてはなりません。 

サーマ ヴェーダ吟唱におけるイントネーションは、さらに緻密(ちみつ)で複雑なものとなっています。一つひとつのスワラは、それぞれ異なった振幅と周波数をもつバイブレーションを生み出します。 

楽器による伴奏などを加えてはいけません。楽器には、すでにそれが持つ音とバイブレーションがあり、ヴェーダ吟唱から得られる特有のバイブレーションを乱してしまうからです。今日、多くの人はヴェーダのマントラを、さまざまな楽器伴奏を加えた音楽的なものにしてCDなどを発売しています。それらも聞いて美しいものですが、ヴェーダ吟唱の厳しいガイドラインを守らなければ、それは単なる音楽的な曲に留まり、本来のヴェーダ吟唱の持つバイブレーションの効果を得ることはできません。 

3. マートラー(長さ)

これは、ヴェーダを唱える時のそれぞれの音節の長さを示します。短い母音は、長い母音よりも発音の長さは短く、同じく半子音は全子音よりも発音する時間は短くなります。それに加え、ヴェーダ吟唱には、2~3倍引き伸ばして唱える、特有のマートラーを持つ音節があります。 

4. バラム(力強さ)

各音節を発音する時の力。KH、GH、SHHなどの音は、他の音節よりも力強く発音する必要があります。 

5. サーマ(持続性)

それぞれの異なったスワラ(音程)は、吟唱の音が途切れず、鳴り続けるように繋(つな)がっていなくてはなりません。特に高い音程の次に低い音程が続く時は、注意を払わなくてはなりません。 

6. サンターナハ(句読点・息継ぎ

ヴェーダ吟唱は休みなしでずっと続けることはできません。止まる個所は、定められた正しい個所でなくてはなりません。 


ヴェーダの意味とシンボリズム

ヴェーダのマントラの意味は、文字通りに解釈するだけで留めてはなりません。各マントラは、文字として、象徴(シンボル)として、またさらに深い霊的なものとして、それぞれのレベルに解釈することができます。文字から得られる意味を熟考し、謙虚さと喜びをもってマントラを学習するのであれば、自然にそれらの意味が私たちに明示されます。そうして、だんだんとマントラのそれぞれのレベルの意味が、たまねぎの皮を剥いていくように、明らかになっていきます。 

ヴェーダのマントラの意味は、次のように解釈することができます。 

ヴェーダの意味は、壮大であり、高尚、かつ深遠です。ヴェーダの格言は、無限の意味を持ちます。すべての人がそれらの内的教えを理解できるわけではありません。 ―ババ 

ヴェーダは、唱えるだけでなく、意味を知り、実践に移すものです。吟唱することによって、それなりの喜びを得ることができるかもしれませんが、ヴェーダの内的意味を知ることは、人生そのものを実り豊かなものにしてくれます。しかし残念なことに今日、ヴェーダの意味を明示できる人は少なくなってしまいました。 ―ババ 

各文字の意味を知らなくてはなりません。今日、人は真の言葉を知らずに多くの書物を読みます。太古、人は学習した一文字一文字の意味を知っていました。各文字の意味を知り、各言葉、そして各文章を理解する人は真の詩人です。 ―ババ 

今日人は、文章を形成する各文字や言葉の意味を知らずに文章を理解しようとします。教師でさえ、文章の世俗的な意味のみを教え、誰も、文章が表す道徳的、倫理的、霊的意味を与えません。道徳的、倫理的、霊的指針に関する知識を広めるのは、教師たちの責任です。それが真の教育です。私たちは、各文字、各言葉、各文章の意味を知り、それに応じて行動しなくてはなりません。 ―ババ 

Ms. Lalitha Vaithilingam, Ms. Nirmala Sekhar and others, Vedic Chants: The Journey Within, 3rd ed., Prasanthi Nilayam, 2010, pp.62-63.

ルッドラムの学習に入る前に

最後に、3月1日に行われたBro.ソーヌ(日本でヴェーダを教えられたサティヤ サイ大学卒業生のうちの1人)によるヴェーダセミナーから、ルッドラム学習に際してのアドバイスをご紹介します。

質問: ヴェーダを学ぶのが初めてで、ルッドラムから始めたいという方がいた場合、どのようにアドバイスすればいいでしょうか? 易しいマントラを学ぶことから始めて、それからルッドラムを学ぶことを薦めた方がいいでしょうか? 

答: 聞くだけであればルッドラムでもどんなマントラでも構いません。例えば電車に乗るだけであれば、普通の電車でも、最初から新幹線にでも乗ることは可能です。それは、乗車券を買って乗ることを楽しむだけだからです。しかし新幹線を運転することとなると、誰もが、「まずは、大きな事故が起こらないように、最初に電車を運転することとはどういうことかを学んでからにしなさい」と言うでしょう。 

ナマカムを学びたい、という気持ちは、今プッタパルティで皆がナマカムをスワミの御前で唱えているという事実があるからでしょう。しかし、スワミがナマカムを薦めていらっしゃるのは、ヴェーダの復興のためであって、スワミに捧げるものはどんなマントラであっても構わないのです。霊的な道においては、すべての人が同じ道で進まなくてはならないという決まりはないのですから。スワミは一人ひとりのための計画をお持ちです。その計画の中には、先に進んでいる人、遅れている人などというものはありません。易しいマントラから始めて、難しいものへと進むほうがいいのです。最初から難しいものを勉強し、それがうまく学べないとなると、無意識のうちにヴェーダ学習に対する興味を失い始めます。 

一度トライー ブリンダーヴァン(ホワイト フィールドにあるスワミのお住まい)でヴェーダを唱えた時のことです。そこには2、3種類のグループがありました。一つはルッドラムの「スター」とみなされているグループです。そのグループはナマカムやチャマカムも唱えられる、ヴェーダを吟唱する上で中心的なグループでした。 

自分のような初心者のグループもありました。私たちもスワミの御前でヴェーダを一緒に唱えたいと頼んだところ、後ろで一緒に唱えられるマントラを唱えなさい、と言われました。私たちは、マントラ プシパムガナパティ アタルヴァ シールシャムドゥルガー スークタムなど、4つほどの易しいマントラだけを知っていました。 

やがてスワミが出ていらっしゃいました。スワミは皆を見てから、私たちのグループの方にいらっしゃいました。そのころの私たちは、ドゥルガー スークタムでさえ間違えることもあったくらいなのですが、マントラ プシパムは間違わずにきれいに唱えることができたので、私たちはそれを唱え始めました。その時、誰が一緒に唱えてくれたと思いますか? スワミです! スワミが私たちのグループと一緒にマントラ プシパムを唱えてくださいました! ですからその時は私たちのグループが「スター」となりました。  

何を学んでいるかが問題なのではないのです。皆さんの想いと帰依心がスワミにとって一番重要なのです。多くのマントラを学んだとしても、一つでも心を込めて唱えられなかったとしたら、何の価値があるでしょうか。スワミはこのような詩を歌われます。「樽何杯ものロバの乳は必要ない。スプーン一杯分の牛の乳だけでよい」 神は、私たちが物事に込める想いを重視されます。ですから、易しいマントラから学び始めて、だんだんと難しいものへ進んでいくことをお勧めします。